ものまね芸人ジョニー志村が明かすコロナ禍での窮状…「タモリ」キャラ誕生秘話と大ウケの転機
ジョニー志村(ものまね芸人/50歳)
今年、タモリそっくりの芸で登場、50歳にしてブレークしたジョニー志村さん。コロナ禍でのアルバイト生活とブレーク芸の誕生を語る。
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この世界に入る前は、実家のスキューバダイビングの店を親父の他界後に引き継いでました。お客さんが来てくれるから貧乏ではなかったのですが、トラブルが多くて。
初心者用のダイビングスポットだったのですが、親父が死んだ途端、商売敵が「あそこの海で潜るな」とスキューバダイビングをやる人たちに言って回ったりとか。その手の嫌がらせは結構この業界では多くて、「ここは俺の海だ」と言い出す人までいる(笑)。そこは苦労しましたね。
店を閉めて28歳からものまねタレントになり、30歳で結婚。タモリさんのものまねを始めるのはまだまだ先で、歌手の歌まね中心にショーパブやたまの営業で収入はありました。
歌まねだと、売れてないものまね芸人も地方営業が入るんです。だから生活費の心配はそんなにすることがなかったですね。でも、子供が2人生まれ、学校に通う年になると、だんだんいっぱいいっぱいになってきました。
最悪な状態になったのが、2020年からのコロナ禍。長男が大学受験で下の子もお金がかかる。なのに、地方営業はまったくなくなり、ショーパブは自粛明け後にちょっと出させていただく程度。
それもすぐ緊急事態宣言になってしまって。しかも、再開してもお客さんは声を出しちゃいけないから、盛り上がらなくて。
コロナ禍のものまね芸人はみんな大変な状態でしたよ。給付金も、どうやったらもらえるのかもわからなかったし、みんなアルバイトしていたと思います。
僕もアルバイトを始めましたが、50歳近いからバイトも限られました。しかも、茨城に住んでいたのでウーバーイーツのような仕事がない。見つけたのが倉庫内で作業する仕事。
でも、倉庫内を結構歩くので、それが健康にいいし、バイトの若者と仲良くできて楽しかった(笑)。朝8時から夕方5時まで働き、ものまねの仕事がない時期は残業もやらせてもらいました。それだけでも息子の大学費用や生活費に足りないから、朝には牛乳配達もして。頑張って稼いで、どうにかお金は足りました。
タモリさんのものまねを始めるのはコロナ禍の最中。サングラスをかけた歌まねをやっていたので、事務所の社長からは前から「タモさんに似てる」と言われていたんですよ。
丸刈りにしてた髪を伸ばしてみて、ある日タモさんぽいサングラスをかけて鏡を見ると、自分でも「やっぱ似てるな」と(笑)。それから懸命にタモさんのトークまねを練習したんです。