『逃走』が描く逃亡犯・桐島聡 血まみれ爆破事件の「悔悟」と「逃げる理由」
本作に思うのはこの時代の反権力を目指す若者は何と戦っていたのかということだ。国家を疑うのは大いにけっこうだ。ポスト団塊世代の筆者も、国家とは国民を騙して扇動する機関だと解釈している。だが大衆を巻き込み、傷つけることが果たして革命なのか。
こう考えながらスクリーンを見つめるうちに30年前のオウム事件を思い出した。彼らも罪のない人々を死に追いやった。いたずらに武器を製造した革命ごっこ。どちらの実行犯も幼稚な思い込みで突き進んで行ったとしか思えない。
若き桐島を演じるのは第41回ヨコハマ映画祭最優勝新人賞などの杉田雷麟。晩年の桐島は名脇役の古舘寛治である。
古舘は日ごろから政治に対してリベラルな発言をしている。いかにも左翼活動家らしい神経質そうな風貌だけに、ピッタリのキャスティングといえよう。自己の思想・信条の正当化にこだわる政治犯の苦悩を巧みに表現。額に縦ジワを寄せて語り、常に後ろめたさを漂わせている。
見せ場はいくつもあるが、筆者は特に2カ所が印象に残った。
ひとつは桐島が酒場で一人酒をやりつつテレビニュースを見る場面。「バブル経済が破綻した」というアナウンスを聞いてさも愉快そうに笑う。経済的繁栄の瓦解を直視することで普通の人生を投げ出したわが身の惨めさを束の間忘れたからの笑いなのか。あるいはマルクスの経済理論を念頭に資本主義の矛盾を嘲笑したのだろうか。いずれにしろ革命児・桐島の鬱憤晴らしをうまく表している。
もうひとつは桐島が口ごもりながら「天皇裕仁」と呟く場面。僧侶の出で立ちをしたもう一人の自分から厳しい質問を受ける際のセリフだ。この「天皇裕仁」に70年代に過激化した若者の思想性が込められているように思え、興味深く鑑賞した。さすがは足立監督である。
今年2月、TBSの「報道特集」が桐島が住んでいた部屋にカメラを入れた。そこには「無欲」「勇気」「しぶとさ」「弱さ」などの殴り書きが残されていたという。1974年を振り返る雑誌も見つかり、軍服姿の小野田寛郎の写真を配した表紙が映し出されていた。あのころ筆者は高校1年。若者がなぜ企業を爆破するのかピンとこなかった。
桐島の最期のニュースも映画「逃走」も、時空を超えて筆者をタイムトリップさせてくれた。だが残念なことに逃亡者・桐島聡はこの世にいない。彼は自分の人生をどのように総括していたのか。もっと早く名乗り出て心中を披露してもらいたかったと思うのだ。
(文=森田健司)