アッシャー症候群のジョー・ミルンさんは聾盲者メンターに
私の耳が聞こえていないと母が気づいたのは、生後16カ月の時だったそうです。補聴器をつけても、かすかな振動の違いを感じるだけで音は聞こえません。
しかし、母は、姉や妹と同じようにかわいい服を私に着せ、普通の子供と同じ教育を受けさせました。手話を習い、障害児のための学校に通う選択肢もありましたが、「自分が立ち向かわなければならない現実を見なければいけない」と、母は考えたのです。
授業は先生の唇さえ見ることができれば問題はありませんでした。でも、わざと私に背を向けて授業をする先生がいたり、同級生からいじめられたり……。それも学びだと理解していても、学びのプロセスにはつらいものがありました。それでも母は
「あなたが悪いんじゃない。相性が悪かっただけ」と言って、いつも励ましてくれました。
大音量の音楽で“ビート”を感じながら、姉とクラブで踊るのが大好きでしたし、17歳から恋人もいましたし、障害のせいで何かをあきらめた経験はありません。
そんなふうにやりたいことを実現させてきたので、「人工内耳手術」という選択肢について深く知ろうとせずにいました。