緩和病棟に入院する患者は「経緯」も「思い」もそれぞれ違う
■自分なら医療者から「死」についての話題は出してほしくない
ある緩和病棟に入った終末期と思われる患者が、スタッフから「死の覚悟を求められた」ということがありました。どのような経緯で、どんなことを考えて緩和病棟に入院したか、患者の思いはそれぞれ違います。
この緩和病棟では、スタッフは安寧な死を迎えるために、しっかり「死の受容」をしていてほしいと思っているのかもしれません。しかし、医療者から「死の覚悟を求められる」というのは、どうも違うと思うのです。
もし、私が緩和病棟に入ることになった場合は、その時になって違ってくるかも知れませんが、できれば淡々と過ごしたい。医療者から「死」についての話題はあまり出してほしくないと今は考えています。
宗教学者の山折哲雄氏は「死を見つめて生きる」(ビジネス社)の中でこう述べています。
「仏教用語にも『以心伝心』という言葉があります。それで、お互いに相手の心の動きをキャッチしている。ですから患者の方も、言葉では表現しなくとも……目でそれとなく告げていることがある。看取るほうの『あなたは、もう駄目かもしれない』という思いも、相手に通じる。何も言わなくとも、実質的に告知し告知されているような関係が最期を迎えるという場面で出来上がっている。……日本人には馴染みやすいのではないでしょうか。私自身は、そのほうがありがたい。そこまで考えてくれる医師が、たくさん出てきてほしいと思っているんです」