医師国家試験に初めて合格した女性医師は夫に淋病をうつされ決心
江戸から明治期にかけて、いまでは信じられないほどの梅毒が市中に蔓延していました。それを示すデータが残されています。英国の公使館付医官だったウィリアム・ウィリスが、英国外務省の依頼で日本の売春についての報告を求められた際、作製した文書です。それには、「日本の遊女の3分の1は身売りの契約期限が切れないうちに梅毒で死亡している」「江戸では遊女の約10%が梅毒にかかっていると見られるが、横浜では少なくともその患者が2倍はいる」「日本の田舎では梅毒はまれだが、都市では30歳の男の3分の1が梅毒に冒されている」などが記されています。
ウィリアム・ウィルスという人は、スコットランドのエジンバラ大学で医学を修めた後、1862年に駐日英国公使館の医官として来日。戊辰戦争や上野戦争の傷病兵の治療にあたっただけでなく、土佐藩藩主・山内容堂の肝臓の治療も担当しました。ほかにも病院の整備や日本人医師の育成にも携わり、幕末から明治維新にかけて日本の近代医学・医療の基礎を築き、発展に貢献しました。東京大学医学部の前身や鹿児島大学医学部の前身を作ったことでも知られています。そのウィリアム氏が作製した報告書ですから、信頼のおけるものだと考えてよいでしょう。