熱い情熱を持った指折りの放射線治療医が亡くなってしまった
その後、患者さんは順調に治療を進めることができました。しかし、元気な唐沢医師の声を聞いたのは、期せずして電話をくれたあの時が最後となってしまいました。
唐沢医師は毎日、病院で夜中まで仕事をしていました。電話で話した10日後、その晩も深夜まで病院の医局の自室で、講演用のスライドを作成していたようでした。
急に胸痛を自覚し、救急室にたどり着いた直後、心停止してしまったのです。
翌朝、この悲報を聞いて、私はしばらくただ呆然としました。よく「役者は舞台で死ぬのが本望」などと聞きますが、彼はもっと仕事をしたかったでしょう。間違いないと思います。
■治療の最先端で多岐にわたって活躍
唐沢医師が赴任してきた25年前から、がん治療の診療だけでなく、併設されていた研究所でネズミやミニ豚を使って一緒にがんの研究をしました。「がんに対してより効果を上げ、副作用を少なくする」――この考えは、放射線治療でも私が専門とする抗がん剤治療でも同じでした。