「シン・防災論」著者、鈴木哲夫氏が特別寄稿「輪島朝市通りは、なぜ焼け焦げた跡が放置されているのか」
「寄り添う」とは待つ覚悟
あれから半年以上が経った7月中旬。まだ羽田空港と1日1往復しか飛んでいない飛行機で能登半島地震の被災地を訪ねた。
上空から見た半島の山々は地滑りと倒れた木々がそのまま。空港からレンタカーで輪島市内へと向かったが、県道を走りだすと道路は断裂、深い溝、隆起。市内の道路沿いに…
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