本田圭佑とは親戚…レスリングで活躍した本田多聞さんは今
「日大を卒業後、自衛隊体育学校に特待生で入学し、ソウルで3等陸尉、その後、2等陸尉になり、バルセロナが終わったら1等陸尉に昇進してレスリングをやめ、原隊復帰せよって辞令が下りることになってました。でも、ワタシはまだ引退したくはなく、当時はプロレスリング業界も盛り上がってたため、自分がどのくらいできるのか、挑戦しようと思いましてね。29歳と年齢的にはいってましたが、93年、ジャイアント馬場さんの全日本プロレスのお世話になることにしました」
若手と一緒に合宿所での生活だった。
「ただ、待遇面では他の選手より良かったみたいです。馬場さんの付け人をやり、食費はほとんど面倒見ていただきました、ハハハ」
2000年にプロレスリング・ノアに移籍。09年、フリーになった。
「今は東京の稲城市と川崎市に『本田多聞レスリングスクール』を開き、幼稚園の年中(4歳)から中2までの約30人の子供たちにレスリングを教えてます。いや、後継者を育てるなんて大げさなもんじゃなく、ひとりでもレスリングを好きな子を育てたい。そうした思いが強いですね」