開口一番、清原さんが「ええなあ、ジャイアンツかぁ」と言った
96年オフに巨人にFA入団された清原和博さんと同じユニホームを着たのは9年間。四六時中一緒にいたように思われるかもしれませんが、2人きりで食事に行ったことは実は5回もないと思います。例えば、キャンプ中の夜に電話がかかってきても、僕がすでに後輩選手と食事をしていることを伝えると、「それならええわ。そっちで楽しんで」とそういう気遣いをする方なのです。
そんな清原さんと初めて会話を交わしたのは、僕が19歳の頃でした。90年ドラフトで念願の巨人入りを果たし、野球留学していたハワイから帰国した直後でした。お世話になっていた大阪の知人に食事に誘われると、その方が「キヨも呼んでるから」と言うのです。
ビックリしました。慌てて1着しかなかった背広に着替え、ネクタイを締めて指定された店に向かいましたよ。何しろ、中学時代にはPL学園の清原さんと桑田さんを追っかけて、甲子園の大阪府予選まで行ったくらいの憧れの人でしたから。
この年、自己最多の37本塁打を放っていた清原さんはすでにプロ野球界を代表する4番打者です。もう、着く前から緊張でガッチガチでした。