聴取の約束無視 貴乃花親方はもはや相撲協会に居場所なし
協会に対する不信感があるにせよ、貴乃花親方の言動はもはや常軌を逸している。そこまで相撲協会が気に入らないのであれば、これはもう、組織を出て行くしかないのではないか。
■1932年の春秋園事件
角界には2団体に分裂した歴史がある。相撲協会がまだ「大日本相撲協会」という名称だった1932年のこと。通称「春秋園事件」と呼ばれる力士たちのストライキがそれだ。
事件を主導したのは当時、関脇だった天竜三郎。1月場所の番付発表後、所属する出羽海一門の力士らを都内の中華料理屋「春秋園」に集め、決起集会を行った。目的は力士の待遇改善や協会の財政改革を訴えること。それらを10項目にまとめた要求書を協会に提出、改革を迫った。
しかし、天竜らの訴えは通らず、交渉は決裂。天竜の同志だった大関大ノ里をはじめ、関取48人、幕下数人が一度に協会を脱退したことで、協会は1月場所の延期を余儀なくされた(2月場所として翌月開催)。
脱退力士は「新興力士団」(のちに「大日本相撲連盟」に改称)を名乗り、大日本相撲協会とは別に都内で独自の興行を行った。だが、内部分裂により協会に帰参する力士もおり、天竜らは大阪に本拠地を移し、「関西角力協会」を設立。東西に協会が2つという、異例の事態となった。