聴取の約束無視 貴乃花親方はもはや相撲協会に居場所なし
その後、先細りする関西角力協会に対し、東の大日本相撲協会は横綱玉錦、双葉山らの活躍もあり、人気が回復。関西角力協会は分裂から5年後の1937年に解散となり、多くの所属力士は引退、あるいは大日本相撲協会に帰参した。
■「社会人としての道を外れている」
角界では春秋園事件以外にも、正面から協会に改革を迫った例がある。明治時代の「高砂改正組事件」「新橋倶楽部事件」、大正時代の「三河島事件」がそれだ。
春秋園事件では協会が分裂することになったが、それだけ当時の力士らの不満が大きかったということでもある。貴乃花親方に改革の意思があるならば先達に倣い、協会を2つに割る覚悟で出て行くべきではないか。
相撲ファンの吉川潮氏(作家)が言う。
「いや、貴乃花がそうしたところで、誰もついてこないでしょう。そもそも、貴乃花に改革の意思なんてあるのでしょうか? どうも一連の騒動を見ていると、貴乃花は理事長選で負けたとか、ちっぽけなこだわりで駄々をこねているようにしか見えない。しゃべらないし、協会の使者にも会わない。部屋に閉じこもっている登校拒否の子供さながらです。仮に大義があるならば、もっとさっそうとした態度で、自分の意見を言うはず。今の貴乃花のやっていることは大人の対応ではない。明らかに社会人としての道を外れています」