錦織圭を育てた盛田ファンド“脱アマチュア主義”の合理性
■アマチュア主義からプロ
テニスに限らず、最近は日本選手の海外での活躍が話題だ。野球の大谷翔平だけでなく、バスケットボールでは八村塁がNBAに1巡目で指名され、陸上100メートルではサニブラウン・ハキームが日本記録9秒97を出した。八村やハキームは外国人2世だからという人もいるが、そんな単純な話ではないだろう。どの競技でも、日本の指導者は基本を徹底的に叩きこむ。教科書通りに繰り返し教える。アマチュア主義だ。
これまではそこで終わっていた流れが海外のプロにつながったのだ。情報化時代の今、若者に基本を叩きこむ作業は時間と手間がかかり、誰もやりたがらない。しかし基本は大事だ――。
日本ほど子供の頃から野球の試合数をこなしている国はない。基本はバッチリ。この頃、高校野球の試合でメジャーリーグのスカウトを以前ほど見かけなくなったのは、しつけは日本に任せ、ある程度育ってから本場に連れて行く“楽な方法論”を完成させたからなのだ。
錦織を生んだのは日本の土壌。しかし、フェデラーに立ち向かう世界ランク7位を育てたのは、彼我の現実をよく知った盛田方式の合理性だ。彼我の差をわきまえず、国内利権に奔走する競技団体を見直し、指導するのもスポーツ庁の仕事だろう。