第3戦の朝、原監督は顔を合わすなり「一塁は誰がいい?」
CSの朝のことが気になっていた。いくら原監督から聞かれたことだとはいえ、バッテリーコーチの仕事ではない打順に口出しをするなんて……。
その場にいた岡崎ヘッドは面白くなかったに違いない。そんなモヤモヤをボウカーの活躍が吹き飛ばしてくれた。
■「135キロじゃ通用しない」
この年、九回の西村健太朗、八回の山口鉄也、七回のスコット・マシソン、福田聡志、そしてもう一人、勝ち試合のリリーフ陣に欠かせない新人がいた。
ドラフト4位ルーキーの高木京介である。2月の宮崎キャンプのシート打撃で登板した際、岡崎ヘッドは「135キロ程度の直球じゃ通用しないな」と首をひねった。ただ、腕をしっかり振って特徴のある大きなカーブを投げていた。新人にもかかわらず、抑えても打たれても、表情を全く変えず、淡々と投球しているところに、中継ぎ投手としての適性を感じた。岡崎ヘッドに「何とか一軍で通用するように捕手目線で一緒に頑張ってみます。もう少し時間をもらえますか?」と頼み込んだ。すると、原監督も「もう少し見てみよう」と助け舟を出してくれた。結局、34試合登板で防御率0・57と1年目から貴重な左腕としてフル回転した。リリーフ陣の踏ん張りにより、前年23勝27敗だった1点差試合が12年は20勝14敗と大幅に改善。チーム防御率も前年の2・61から2・16にアップした。
清武英利球団代表兼GMが「清武の乱」で解任された直後のシーズン。当初、外様コーチの私は「清武派」などといわれ、色眼鏡で見られていたようだ。そんな私を原監督は要所でかばってくれた。そもそも、縁もゆかりもない私がなぜ巨人に入れたのか。なれ初めを教えよう。