<2>契約合意に至らなかったB.ジョンソンがソウル五輪で金メダルもどんでん返しが
カール・ルイスがミズノのスパイクで登場した1987年の世界陸上ローマ大会。注目の100メートルを9秒83の世界新記録で制したのは、ルイスではなくカナダのベン・ジョンソンだった。得意のロケットスタートで9秒93(2位)のルイスを寄せつけなかった。
大舞台でルイスを負かす選手が欲しい我々にとって、ジョンソンは最高のターゲットだった。当時彼はアディダスと契約していたが、アシックスのシューズに興味を示し、実際にわが社のスパイクを履いて欧州の大会で好記録も出していた。
翌年のソウル五輪を前に、「今度こそジョンソンを逃すな」
会社の命を受け、契約交渉を行うことになった。現地へは私が向かうはずだった。交渉を円滑に進めると同時に、不成立に終われば責任を取るため、常に私が契約交渉の現場に立ち会っていた。ところが、「虫の知らせ」とでもいうのか、このときはどうしても交渉の場に行く気がせず部下に任せた結果、イタリアのディアドラ社にさらわれた。
■頭には辞職の2文字が…