ヤクルト村上宗隆が現状維持6億円で更改も…球団がアタマを痛める複数年契約の“負の歴史”
「複数年契約を結んだ選手はハングリー精神がなくなってアカン。給料が保証されてるのに、どうやって必死になるんや」
かつてヤクルトを率いた野村克也氏は生前、こう言ってボヤいたことがある。
1990年代に黄金時代を構築した一方で、古田敦也、池山隆寛ら主力選手がこぞって大型の複数年契約を結んだ。98年オフに5年契約を結んだ古田はともかく、88年から5年連続30本塁打の池山は95年にFA宣言して3年契約を勝ち取るも、翌96年は53試合出場にとどまるなど、以降は往時の活躍ができなかった。98年にFA権を行使して4年契約を結んだ韋駄天・飯田哲也も、99年以降はベンチを温める機会が増えた。
ヤクルトは、巨人や阪神のような金満球団ではない。FA権を取得した選手には、高額の年俸を払えない分、長期契約で報いる傾向があった。それに伴い、他球団に流出した選手もいる。
■山田哲人は7年総額40億円も…
その流れは今も残る。史上初のトリプルスリー3度を達成した山田哲人はFA権を取得した20年オフ、7年総額40億円の超長期契約を結んだ。翌21年こそ34本塁打を放つも、ここ2年間は精彩を欠いている。