日本球界からの「クーパーズタウン第1号」は400勝ボール…"黄金の左腕”はまさかの招待に頬をつねった
55年の日米野球でヤンキースと対戦した金田は当時22歳の絶頂期。史上最高のスイッチヒッターで三冠王のミッキー・マントルを3打席連続三振に仕留めた。その快速球は監督のケーシー・ステンゲルからスカウトされたエピソードを生んだ。
400勝を挙げたのは巨人最後の69年。破天荒な数字だった。それなのに、日本の殿堂は無関心で声もかからなかった。当時の殿堂は後楽園球場に隣接していたご近所さんなのに、である。その後、代わりのボールが殿堂に置かれ、体裁を整えた。
“カネダ”の名前は当時の米球界でもっとも知られた。大リーグの殿堂入りを果たしたその年、ヤンキースの至宝といわれるジョー・ディマジオがロッテの鹿児島キャンプを訪れたほどである。