「到達不能極」斉藤詠一氏
第64回江戸川乱歩賞を受賞した今作品は、終戦間近の1945年と、70年以上の歳月が流れた2018年という2つの時代で謎が交錯する、壮大なスケールで描かれた冒険小説だ。
物語の舞台は、南極大陸。タイトルの「到達不能極」とは、陸上で海から最も遠い点、あるいは海上で陸から最も遠い点を指す言葉で、容易にはたどりつけない場所だ。
「仕事の帰りに、立川市にある国立極地研究所に立ち寄ったのが本作の着想のきっかけです。南極や北極の歴史や環境などさまざまな研究に触れることのできる施設で、昭和基地の模型や雪上車などを実際に見学できたことで想像がかき立てられ、これを次の作品の題材にしようと考えました」
物語は2018年2月の南極大陸上空から始まる。旅行代理店に勤務する望月拓海は、南極観光のツアーコンダクターとしてチャーター機に搭乗していた。しかし、突然すべての計器に異常が発生し、今は使われていないアメリカの観測基地に不時着を余儀なくされる。時を同じくして、氷床掘削のために派遣されていた日本の南極観測隊の雪上車にも不具合が起こる。
同時並行で描かれるのは、1945年の1月。マレーシアのペナン島にある日本海軍基地の訓練生・星野信之は、上官の使い走りでとあるホテルを訪れていた。そこには、信之が淡い恋心を抱くロッテという美しい少女がいた。
ある日信之らは、ドイツから来た科学者とロッテの両人を護送する任務を与えられる。目的地は南極大陸。護送先は、“秘密の研究”が行われているという、ナチスの基地だった。
そして時は再び2018年。拓海は元アメリカ政府機関のメンバーというベイカーと共に、不時着した観測基地内部の探索に出かける。そこで、ミイラ化した死体を見つけた。
「南極大陸では謎が残るいくつものプロジェクトが実行されてきました。日本が敗戦を迎えた翌年の1946年、アメリカ海軍は『ハイジャンプ作戦』という南極観測計画を実施しています。しかし、参加した艦隊には戦闘艦艇が多数含まれていたり、多くの機材を残したまま部隊は撤退している。同じく1955年に実施された『ディープフリーズ作戦』では、経過に関する詳細な記録が公開されておらず、不可解さを感じました」
物語を読み進めるうちに、これらの実際にあったプロジェクトが実は本作で描かれる謎につながっているのでは……と思わされ、胸騒ぎとともにページをめくる手が止まらなくなる。
さらに物語の圧倒的な迫力を支えているのが、文章の緻密さと場面ごとの臨場感。江戸川乱歩賞の選考委員にも、その構成力や筆力が高く評価された。敗戦間近の軍に関わる息苦しさはもちろん、極寒の南極の過酷さまで、恐ろしいほどに伝わってくる。
「平日は仕事があるし、休日は家族サービスもしなくてはいけないので、小説を書くのは平日の夜。子供たちがテレビゲームをしたり、妻が家事をしている賑やかなリビングの片隅で書き続けてきました(笑い)。学生時代に小説家を志してから20年。夢を諦めなくて本当によかった」
物語のスケール感に注目が集まる著者だが、実は登場人物の心の機微も繊細に描かれている。
「立派な賞をいただきましたが、小説家としてはようやくスタートラインに立てたところ。人事部という裏方的な部署で働いてきたからこそ、普通の人たちの気持ちを丁寧に表現できる作品を、ペースを崩さずに書いていきたいですね」
(講談社 1600円+税)
▽さいとう・えいいち 1973年、東京都生まれ。千葉大学理学部物理学科卒業。システムエンジニアや自然保護活動に関わるNGO団体などを経て、現在は一般企業の人事部で働くサラリーマン。学生時代から小説家を志し、2018年「到達不能極」で第64回江戸川乱歩賞を受賞し、作家デビューを果たす。