「ひとりの覚悟」山折哲雄氏
釈迦は80歳で、親鸞は90歳でこの世を去った。今年88歳を迎える著者は、思想の恩師らの年齢に近づいてきたことで、具体的に安楽死について考えるようになったという。
「人生100年時代というけれど、医療の発達のおかげで生きられるようになったのが実情ですよね。私自身、そうです。70代で急性膵炎、2年前には不整脈の手術をし、こうして“たまたま”長命を保っている。しかし、いくら元気でも90歳が近づくと寿命は意識します。かつて日本では、寿命を悟ったお坊さんたちは木喰に入り、やがて断食、断水をして、すーっと死んでいきました。若い頃に知ったそういう話と、親鸞が晩年にたどり着いた思想『自然法爾』、ありのままの姿でという言葉がだんだんと自分の中で重なっていったんです。それで、90歳を過ぎたら人間の最期の死に方は自由にしようよ、安楽死を認めようと考えるようになったわけです」
本書は、宗教学者の著者による死の規制緩和を求める緊急の提言書である。安楽死の解禁の必要性を説くと同時に、日本人の思想と文化をたどり、理想の逝き方を問うている。
「連れ合いなどに先立たれ生きる意味が見いだせない、延命治療してまで生きて迷惑をかけたくないなど、安楽死を願う高齢者は存外多く、もはや無視できないものになっていると思いますね。少子高齢化で逼迫する財政面から見ても、安楽死の解禁は悪いことではありません。もちろん安楽死は現法律では認められていませんから、死の定義を変える必要があります。私は、新たに老議院なるものを創設し、死の定義や安楽死解禁で起こるであろう諸問題を議論してはどうかとも考えているんです」
近代法では、呼吸、心臓、脳の機能停止をもって「死」としている。西洋医学の近代的思想から出てきた捉え方で、いわば人の死を「点」で捉えている。
「西洋の死が点なら、日本の死は『線』なんですよ。古来私たちは、病気になって衰え、枯れ果てて死を迎えるという病老死をひとつながりとして、死と捉えてきました。だからあの世ともつながっていると考えられ、それは死にゆく人、見送る人の不安や恐怖を和らげたんですね。神話の時代から現代に至るまで、本葬するまで一定期間安置する“もがり”の儀式が残っていて、現代では通夜がそれに相当します。これが日本人の死生観。西洋の点の死が馴染まないのは当然なんですよ。90歳を過ぎたら命は国家任せではなく、人生の幕引きは自分で決める権利がある、と私が考える理由はここにあります」
人生100年時代になった今、高齢者が後世の若い人に残すべきことは、どのように死んでいくか、そのモデルを一人一人が示すことだという。
「個人個人の覚悟が、ある程度必要になってきたということです。もちろん、高齢者一人一人に自己責任を負いかぶせるということではありませんが、それぞれが考えなければなりません。私はというと、断食死で逝きたいと思っています。憧れは西行。彼は釈迦の命日を自らの終焉日と決め、亡くなっていった。実は断食往生死だったのではと思っています」
やがて誰にでも訪れる死だが、著者はあることがきっかけで、怖くなくなったそうだ。
「終活の一環で、大切な全集を処分したんです。長谷川伸、柳田國男までは、わりとすんなり人に譲れたんですが、親鸞全集を手放すときは非常に苦しかった。ところが手放したあとに不思議な解放感があったんですよ。いつ逝ってもいいという感じ(笑い)。自分にとって大切なものは何かを考えてみる。そのあたりに、存外、死に向かう秘密が隠されているのかもしれませんね」
(ポプラ社 800円+税)
▽やまおり・てつお 1931年、サンフランシスコ生まれ。東北大学インド哲学科卒。国際日本文化研究センター名誉教授、国立歴史民俗博物館名誉教授、総合研究大学院大学名誉教授。「義理と人情―長谷川伸と日本人のこころ」「わたしが死について語るなら」ほか多数。