「評伝 孫基禎」寺島善一著/社会評論社

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 2000年のシドニー・オリンピックの女子マラソンで高橋尚子が優勝した時、日本人選手としてマラソンでは64年ぶりの金メダルと報じられた。しかし、その64年前のベルリン・オリンピックの男子マラソンで優勝したのが孫基禎であることはもちろん、孫が次のような思いで「君が代」を聞いたことまで触れたメディアはなかった。この時、孫は表彰台で胸の日の丸を月桂樹で隠してもいる。いわば、高橋が星条旗を胸につけて走ったようなものだからである。

 孫は自伝の「ああ月桂冠に涙」(講談社)に「私はそれまで、私の表彰式に日章旗が掲揚されるとは正直思ってもいなかった。オリンピックに出場するまで、優勝者の栄光をたたえて国旗を掲揚し、国歌が演奏されるという儀式を知らなかった」と書いている。それだけに、メインポールにはためく日の丸を見ながら、君が代を耳にすることは「耐えられない屈辱」だった。表彰台で孫は思わず頭を垂れ、自分が日本の国民なら、なぜ、朝鮮の同胞は大日本帝国の圧政に呻吟しなければならないのか、と考えた。そして、二度と日章旗の下では走るまい、と心に決めたのである。

 この時、日本は出場選手枠の3人のうちの2人を、「日本人」にしようと最後まであがき、ベルリンに渡ってから再び選考会をやっている。結果は孫と南昇竜が残り、南は本番でハーパーに次いで銅メダルを獲得した。

 孫の金メダルの快挙から16日後の1936年8月25日付「東亜日報」は、第2版で孫の日の丸を削った写真を掲載する。それを知った朝鮮総督府と警察は激怒して、社会部長や記者を逮捕し、拷問した。同紙は無期限の発行停止処分を受ける。

 オリンピックの優勝者ながら大日本帝国ににらまれた孫は、その後、明治大学に入ったが、陸上をやることは許されなかった。2002年に亡くなる間際、孫は「箱根駅伝を走りたかった」と言ったという。

 金メダルから34年後の1970年8月15日、ベルリンを訪れたある韓国人がオリンピック優勝記念碑の孫の国籍の「JAPAN」をノミで削り、「KOREA」と彫り直す事件が起こる。IOC(国際オリンピック委員会)の意向でJAPANに戻されたが、「日本オリンピック委員会がIOCに国籍変更を申し出れば解決するはず」と孫は語っている。残念ながら、この事件に触れていないので、星は3つとはいかない。

★★半(選者・佐高信)

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