「文豪と酒 酒をめぐる珠玉の作品集」長山靖生編
夏目漱石は「酒は飲まぬ。日本酒一杯位は美味いと思うが、二三杯でもう飲めなくなる」と書いているように、酒は飲んでも付き合い酒くらいだったという。本書の冒頭には、そんな漱石の「元日」という作品が置かれている。元日に漱石宅を訪れた若い連中が屠蘇を飲んで傍若無人に振る舞い、促されて漱石が謡をうたう様子がユーモラスに描かれている。
【あらすじ】本書は、各作家の酒にちなんだ作品が収められているが、正面から酒を書いたものは少なく、点景としてさまざまな酒が登場し、酒の種類と作家の組み合わせの妙が本書の特徴だ。
屠蘇と漱石に始まり、以下、どぶろく(幸田露伴)、ビール(森鴎外)、食前酒(岡本かの子)、ウイスキー(永井荷風)、クラレット(堀辰雄)、紹興酒(谷崎潤一郎)、アブサン(吉行エイスケ)、冷酒(坂口安吾)……といったなんとも魅力的な組み合わせで、くだんの酒がどのように描かれているのかを楽しむことができる。
そしてトリを務めるのは太宰治。「私は禁酒しようと思っている。このごろの酒は、ひどく人間を卑屈にするようである。……いやしくもなすところの人物は、今日此際、断じて酒杯を粉砕すべきである」と勇ましい言葉で始まる。戦時下ゆえに酒の配給も少なく、とっておきの酒を毎日1センチずつちびちびと飲む卑小さを揶揄し、酒場での客たちのあさはかさに呆れながらも、そこにはどこか太宰自身に対しての戒めのようにも見えてくる。題して「禁酒の心」。
巻末には、「諸酒詩歌抄」と題して、吉井勇、上田敏、与謝野鉄幹、北原白秋などの酒に関する詩歌が収められており、こちらも味わい深く、酒の肴にうってつけ。 <石>
(中央公論新社820円+税)