「一人称単数」村上春樹著

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 その日、私は一人きりで家にいた。妻は留守で、何をするともなく部屋をうろうろとしているうちに、たまにはスーツを着てみようという気持ちになった。私はときどき、めったに着ないスーツに罪悪感を覚え着てみることがある。ところが、その日、鏡に映った自分の姿に感じたのは、違和感のようなものだった。

 しかし、誰にだってそういう日もあるのだと自分に言い聞かせて、バーに入ってみた。ウォッカ・ギムレットをすすりながら、ミステリー小説を読んでいると、50歳前後の女性が声をかけてきた。彼女は言う。「そんなことして愉しい?」「そういうのが素敵だと思ってるわけ?」。いくつかの挑発のあと、彼女はこう言った。

「3年前の水辺。あなたはどんなひどいことをしたか」

 身に覚えのない糾弾だったが、私は私に恐れを感じた――。(表題作)

 僕、私など一人称単数が話者となる8編の短編小説。短歌をつくる女性とのセックス、温泉場で働く猿の告白など、主人公の過去や経験談がつづられる。奇妙な出来事によって日常が一転、非日常へと転換していくさまに、ひやっとする。

(文藝春秋 1500円+税)

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