「黒魔術がひそむ国」春日孝之氏

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「大統領の正確な誕生日なんて確認できっこない」

 なぜなら黒魔術で呪われるのを恐れているから――。

 本書は、ミャンマー情報省幹部のこんな話から始まる。著者は毎日新聞でアジア総局長を務めた正統派ジャーナリスト。軍事政権から民主化へかじを切り、間もなく10年、いまだ謎多きミャンマー政治の深層に、「呪術」という一見トンデモな切り口で迫ったノンフィクションだ。

「ヤダヤ(厄払い)とか、政府の要人たちが、はたから見たら笑ってしまうようなことを本気でやっている国なんです。例えばキン・ニュン元首相は、パゴダ(仏塔)に女装して上り、後ろから『お姉さん』と声をかけてもらって振り返る……というヤダヤをやっていたりします。冗談みたいなヤダヤやオカルト的な逸話は、本当に山ほど出てきました。でも外の世界には隠したいんです。やはり恥ずかしいんでしょう。だからビジネスなどでミャンマーに関わっても、まず表には出てきません」

 本書によると、「敬虔な仏教国」ミャンマーで人口の9割に信仰されているのは、実は上座部仏教を中心に土着の精霊や超能力者信仰、占星術が混然一体となったものだ。政界やビジネス界の要人の多くは、おのおのお抱え占星術師がおり、時に相手に危害を加える黒魔術も行う。呪詛には正確な出生情報が必要なため、大統領の誕生日は国家機密なのだ。

「偉い立場の人ほどこだわりますが、一般市民も、子どもの名前を決めるとか、何かにつけてまず占い。おまじないは日常です。日本人のラッキー7などと比較にならないくらい、9という数字を重視したりもします。まるで陰陽師が活躍した平安時代のような世界を、現代のミャンマーでは垣間見ることができるんです」

 本書では、テイン・セイン大統領、アウン・サン・スー・チー氏ら政治のキーパーソンやその周辺、彼らに深く関わる12人の占星術師に取材。政治だけでなく、ミャンマー人の名前に隠された情報、近年ホラー映画が人気な理由、ネピドーへの極秘遷都の舞台裏など、ミャンマーにちらばる数々の謎の背景も明かされる。

「日本の感覚では、なぜそんなことにこだわるのかと不思議かもしれません。ミャンマーで最も著名な占星術師が占星術はサイエンスだと言っています。サイエンスも含んだもっと大きな存在として仏教、宗教がある。サイエンスは、あくまで世俗のもので、真理にたどり着けるのは仏教なんです。だから、こだわる一方で、占いは『たまに当たればいい』という認識で、これも最初は驚きました。ミャンマー人と関わる機会がある人は、こういう彼らのメンタリティーを知っておくと、深く付き合えると思います」

 最終章では軍政末期に起きたクーデター未遂事件の真相に迫る。事件の重要証拠品であり、かつての独裁者ネ・ウィン一家が当時の国家元首タン・シュエに対して用いたとされる「呪いの人形」を追ってたどり着くのは、あるフランス人社長だ。

「結局本人にコンタクトは取れませんでしたが、覚醒剤ビジネスに関する現地メディアの断片的な情報は出ていて、そこに軍事独裁政権とこの人物が関わっていたのは、ほぼ間違いないと思うんです。本当に国際スパイ小説みたいな深い闇が広がっている。こうしてネ・ウィンの孫に直接話を聞くなんて、軍事政権下ではあり得ない。民主化したからできた取材です。ラッキーな時期にミャンマーに入り込むことができた僕なりに、歴史の空白を埋める一片になればと思っています」

(河出書房新社 2000円+税)

▽かすが・たかゆき 1961年生まれ。ジャーナリスト、元毎日新聞編集委員。ニューデリー、テヘラン支局などを経て2012年からアジア総局長、翌年ヤンゴン支局長を兼務。18年退職。イラン報道で早稲田ジャーナリズム大賞最終候補。著書に「アフガニスタンから世界を見る」「未知なるミャンマー」など。

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