「龍神の子どもたち」乾ルカ氏
これまで少年少女を主人公にした青春小説やミステリーなど幅広いジャンルで作品を手掛けてきた著者。最新作では、今も議論が分かれる土地開発を背景に、生活や慣習などでの“新旧”住民のさまざまな違いや、子供たちの友情を描いた。
舞台は東京近郊の町、「のぞみ野丘」。標高600メートルの白鷹山と黒蛇山を仰ぐ麓の農村地・谷津流と、幹線道路を挟んで開発されたニュータウンの2つの集落を内包している。大人たちは地元派・ニュータウン派に分裂し、その余波は同じ中学に通う子供たちにも影響を及ぼしていた。
「私が住む北海道は、土地柄もあってか農村地、ニュータウンといった区別はないんですよ。なので物語の街はまったくの創作ですが、物語で描いた昭和50年代は、本州ではニュータウン開発が増えた時期なんですね。昔ながらの慣習を大事にしたいという思い、いや、新しく便利にしていくべきだといった主張や葛藤は、どこの場所でもあったんじゃないでしょうか」
谷津流の集落の祭事を代々つかさどってきた長谷部家は、いわば地区の名家。主人公の中学1年生の幸男はその長谷部家の次男だ。しかし幸男は祖父たちや地域が受け継いできた古い風習や祭事に関心がないばかりか、なんとなく恥ずかしく思っていた。
地区に1つしかない中学では入学早々、祭りの主役を務め、また地域の伝承にも詳しい桐人がからかいの標的に。それを機に、幸男の兄・武男を筆頭とする谷津流組と、ニュータウン組との小学校時代から続く対立はますます激化する。
ある日、校長の提案で、谷津流の原っぱで知恵比べ対決をするが、軍配はニュータウン組に上がる。互いの地区を訪ねる交流も、谷津流組はくみ取り式トイレや、古い商店を小バカにされるなど結果は散々だった。
「子供たちの対立は、大人が生み出した代理戦争のようなものですね。マンションのほうがいいだの、田舎者だとの言葉は大人の価値観をそのまま受け取って言っているだけですから。そんな中でニュータウンに密かに憧れる幸男はある意味、子供らしい感覚を持った子。2つのグループを行き来するズルい面はありますが、弱さを自覚する彼ならではの自衛策でもあるんですね」
のどかな農村地の景色や子供たちの生活が描かれた物語は中盤、がらりとトーンを変える。夏休み、両派の男女9人は林間学校に参加。その夜、土砂崩れに巻き込まれてしまう。そこは禁忌の山とされる黒蛇山で、戒めを無視して開発された場所だった――。
大人は全員死亡し、残された9人は祭り歌を頼りに峰続きの白鷹山を目指して歩き出す。そして物語の随所に挿入されていた祭りの由来や歌、土地の伝承が、じわりじわりと災害の恐ろしさを浮かび上がらせる。
「街の名前などもそうですが、古くから伝えられてきたことには何か意味がある。だから安易に変えてしまうことは危険な側面もあると思うんです。既に私の世代でも語り継がれた経験は少なく、残念だな、と。ただ、それぞれに事情と正義があって、変えようとする側の判断も分からなくもないんです。だって便利なほうに行くのは人の性で、今の社会はそうした変化の積み重ねでできているわけですから」
ニュータウン組がバカにしてきた地域の昔ばなし、和式トイレ、動物の鳴き声を聞き分ける耳特技の手品など、これまで無駄と言われてきたものが、闇の道中の彼らを救う。
「登場する子供たち全員に役目を与えたいと思いながら描きました。慎重だったり、強引だったり、ともすればダメの烙印を押される個性も、光の当て方で輝きに変わる。伝承も個性も、すべてにおいて無駄はない、そんなことを物語に込めたつもりです」
柔軟な子供と頑なな大人たちとの対比も興味深い。
(祥伝社 1600円+税)
▽いぬい・るか 1970年、北海道生まれ。2006年「夏光」で第86回オール讀物新人賞を受賞し、デビュー。10年「あの日にかえりたい」が第143回直木賞候補に。著書に「メグル」「花が咲くとき」「心音」「明日の僕に風が吹く」など多数。