「王子失踪す」山上たつひこ氏

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 一世を風靡した、あのギャグ漫画「がきデカ」から約40年──。

 1990年に「がきデカ」完結編を世に送り出して以降、著者が主に足場としたのが小説の世界だ。本作は5つの短編からなる著者の最新作だが、ギャグ漫画界のレジェンドが、フツーの小説を紡ぐわけがない。

「僕は長い間、ギャグ漫画を描いていたでしょ。いまだに頭の中にギャグの構造物みたいなものがそびえたっているんですよ。もう随分と古びてきて廃虚になりかけている。ほったらかしにしてきましたが、一度、解体して検証し直してみようかと思ったんですね。だからこの短編集は、検証作業の報告書みたいなものですね」

 表題作である「王子失踪す」は、8歳の少女・瑠璃が巻き起こす実に奇妙な物語だ。

 ある日、瑠璃がパイロットの亜蘭がいなくなったと騒ぎだした。亜蘭は瑠璃の父親である笹山が買ってやった着せ替え人形のひとつで、主力商品ミカちゃんから派生したキャラクターである。瑠璃は「家族がいないから亜蘭は家出をしたと」主張し、笹山は娘の無言の圧に負け、「家族」を購入した。ところがこの家族の登場により、人形たちの関係が、いびつなものへと変化していく。

「僕は子供の頃、人形遊びが好きだったんですよ。夜店の景品にあった陶器のキツネとかタヌキだとかを並べて、ストーリーを作ってその世界に入り込んでいました。鉄道模型やジオラマも好きで、この家はどんな家族が住んでいて、どんな生活をしているんだろうと想像したものです。自分も20センチくらいの人形になって訪ねていく感じでね。縮小された世界に、独特の官能性を感じるんですよ」

 瑠璃はまさに著者と同じ。人形の世界に入り込み、点景人物のひとりになっていた。

 たわいもない人形遊びのはずが、笹山が見聞きするのは、ミカちゃんと亜蘭のママの確執、ミカちゃんと亜蘭のパパの密会、ドールハウスの床に散らばる割れた皿──。

 そしてある夜、笹山は見てしまう。ドールハウスのベッドにミカちゃんと亜蘭が裸で横たわり、それを瑠璃が見下ろしているところを。翌日には瑠璃の部屋から「あんたは子供の顔をした淫婦だわ」「誤解だわ」とやりあう2つの声色が響いた。

■エロチシズムと不条理に満ちた短編集

 まるで現実の隣家の情事さながらの人形の世界に、読者は笹山とともに魅入られていくだろう。

「笑いを解体してみると、陽気の素材ではできていないですね。悪意や不安、意味のない優越感など、心地よいものの対極の成分でできているんです。実は、楽しそうなものが何もない。笑いって陰気なんですよ。だから人間って笑いながら、恐怖や怒りを収めるためにお題目を唱える生き物なんだな、と改めて思いました。今回のすべての短編にはそれが流れています」

 本書収録の、童話を語り聞かせる名手と甥の交流を描いた「キャロル叔母さん」、蛇に絞められたい欲望を持つ男の物語「その蛇は絞めるといっただろう」なども、どちらかといえば陰を感じる話だが、じわじわとおかしさが伝わってくる。

「笑いを漫画で描くと、読者はまず映像的な楽しさを堪能してから、あとでゆっくり作者の本質を味わっていく。だけど言語表現の形になると、まず人間の悪意などが前にきて、お笑いは一番最後なんですよ。ちょこっと登場して、実は陰の主役は自分です、って小さな声で言って隠れてる。後ろで笑いが糸を引いているけど読者には分からないというのが、作品群にも共通しているんじゃないかな」

 著者が書きながら笑ったという、牙をむく大根の狼藉を描いた「ジアスターゼ新婚記」、30年前のアイデアを形にしたという「フラワー・ドラム・ソング」を含め、どれも意外な結末が待ち受ける。

「今、漫画家時代に描かなかったことを言語表現の形を借りて完成させようとしているんです。だから文で描いているけど、これらは山上たつひこの漫画なんです」

 エロチシズムと不条理に満ちた5編。とくとご堪能あれ。

(新潮社 2200円)

▽やまがみ・たつひこ 1947年、徳島県生まれ。70年「光る風」で注目され、72年「喜劇新思想大系」でリアルな画風のギャグを確立。74年連載開始の「がきデカ」が社会的ブームに。88年から小説執筆を開始。2014年、原作を担当した「羊の木」(いがらしみきお画)が文化庁メディア芸術祭優秀賞を受賞。著書に「兄弟! 尻が重い」「蝉花」ほか。

【連載】著者インタビュー

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