「アイヌのビーズ」池谷和信編
人類が、身に着けたり、モノを飾るため、さまざまな素材に穴をあけて紐を通し、「ビーズ」を作り始めたのははるか昔。現在分かっている限りでも、14万年前の遺跡から貝製ビーズが見つかっている。
日本でも旧石器時代からその利用が始まり、特に北海道では、人が居住し始めて以来、およそ2万年の間、絶えずビーズが利用され続けてきたという。先史時代、北海道では貝殻や木の実、動物の牙など、さまざまな素材がビーズに用いられてきたが、中世に相当するアイヌ文化の時代以降は外部から大量のガラス玉が導入され、首飾りとして身に着ける「タマサイ」や「シトキ」が誕生し、現在に至っている。
本書は、北海道とその近隣地域で、人々はどのようなビーズを身に着け、それらのビーズは社会の中でどのような役割を担ってきたのかを考察しながら、アイヌモシリ(アイヌの大地)におけるビーズ文化の変遷を紹介するビジュアルテキスト。
アイヌのビーズの特徴のひとつは、その大きさだ。アイヌの人々が好んだ水色のガラス玉「青玉」の中には、1つの玉の直径が5センチを超えるものもあり、世界の諸民族を見渡しても例を見ない大きさだという。
アイヌの女性が盛装時に着ける首飾りは、おもにガラス玉を連ねたもので「タマサイ」と呼ばれる。また首飾りの下部につける飾り板を「シトキ」と呼び、これがついた首飾り全体をシトキと呼ぶこともある。
1789(寛政元)年、松前藩が蜂起したアイヌの首謀者を処刑。その「クナシリ・メナシの戦い」で和人に協力したアイヌの指導者12人を描いた「夷酋列像」に描かれた、ただひとりの女性「チキリアシカイ」の肖像画を見ると、ひときわ大きなシトキを首に、その耳には玉を連ねた耳飾り「ニンカリ」がかけられている。
玉の数が多く、大きな首飾りは、裕福さを示すものであったという。さらにタマサイには呪術的な力があると信じられ、病気の治癒や安産祈願の際にも用いられたそうだ。
シトキのついたタマサイは重要な宗教儀式に用いられ、シトキのないタマサイは盛装時や普通の儀式に使用されていた。タマサイは嫁入り道具の中で第一のもので、女性の護符ともなり、母から娘へと受け継がれていったという。またビーズは女性だけのものではなく、「夷酋列像」にはニンカリを着けた男性も描かれている。
本州では律令時代に入るとビーズ文化が衰退、江戸時代中期まで1000年以上にわたって、数珠などの一部を除きビーズはほとんど見られなくなった。しかし、北海道ではその間も絶えることなくビーズ文化が続いてきた。
今なお往時の輝きを放つ現存するタマサイやシトキをはじめ、それらを身に着けて盛装するアイヌの女性の古写真など多くの史料を紹介しながら、北の大地で営々と受け継がれてきた知られざるビーズ文化の全貌を伝える。
(平凡社 3740円)