「吉村昭と津村節子 波瀾万丈おしどり夫婦」谷口桂子著
「吉村昭と津村節子 波瀾万丈おしどり夫婦」谷口桂子著
「ここで死にましょうか」
真冬の北海道、根室の夜の海岸で、妻・津村節子は、夫・吉村昭に言った。2人は、セーターの行商の旅に出て、最果ての地に流れ着く。ともに文学を志していたが、あてもなく、お金もなかった。
この苦境を乗り越えた若い夫婦は後年、小説家として並び立ち、文壇のおしどり夫婦と評されるようになる。一つ屋根の下に2人の小説家が暮らし、創作という非日常と家庭という日常を両立させるのは至難の業だ。ただのおしどり夫婦であるはずがない。作家で俳人の谷口桂子はそこに切り込んだ。95歳の津村節子をはじめ、長男や夫婦を知る人たちに話を聞き、多くの文献をあたって「奇跡の夫婦」の実像に迫っている。
2人は学習院大学の文芸部で知り合った。部のリーダー格だった吉村は、1つ年下の津村にベタ惚れし、今ならストーカーといわれかねない猛アタックに出る。「到底逃げられぬ」と観念した津村は、妻になっても小説を書かせてもらうことを条件に結婚した。
ところが、親切で頼りになる先輩だった吉村は、夫になった途端に本性を現す。新婚早々、夫婦ゲンカが絶えなかった。家長意識が強い夫は、妻が口ごたえすると、家鳴りするような大声で怒鳴る。吉村が求めていたのは、かいがいしい世話女房だったのだ。まるで結婚詐欺ではないか。
それでも、負けず嫌いの妻は書くことをやめなかった。赤ん坊を背負い、立ったまま小説を書く日もあった。死に物狂いで書いて、ついに芥川賞受賞。夫より先に波に乗った妻は、夫に言う。「あなた、会社を辞めてください」。夫には大きな才能がある。集中すれば、きっといい物を書くと信じていたからだ。妻の確信通り、夫は大作家となり、多くの名作を残した。
戦友のような夫婦の歳月は、笑いあり、涙ありで上質な喜劇のように味わい深い。
(新潮社 1815円)