「能登を、結ぶ。」渋谷敦志著
「能登を、結ぶ。」渋谷敦志著
写真家の著者は、2024年1月1日に発生した能登半島地震の翌日から医療チームに同行して現地入り。以降、能登に通い、絶望的困難に見舞われながらも、前を向き、復興に歩みを進める人々を撮影したドキュメンタリー写真集。
震災翌日、小松空港に降り立ち、余震が続く中、輪島を目指して北上するが、土砂崩れが一行を阻む。
翌日、迂回を繰り返し、輪島に入り避難所を巡った後、七尾市へと向かう途中、国道249号でものすごい数の緊急車両が赤色灯を瞬かせながら続々と能登に集結する姿に遭遇。
濡れたフロントガラス越しに撮影されたその歪んだ映像に、当時の緊迫感がよみがえる。
5日、珠洲市宝立町鵜飼地区では、日没後もわずかな明かりを頼りに、倒壊した家屋からの救出作業に従事する消防隊や警察の姿があった。
翌6日、余震が続く中、珠洲市折戸町から高屋町へと向かう峠道を進んでいると、前方に巨大な岩が行く手をふさぐように現れ、その巨岩と崖の間を自転車を押して歩く女性がいた。
その女性・華子さん(30)は、高屋町に物資を届けるためにガソリンやガス缶などを背負い20キロの距離を3往復したという。
八方ふさがりの中、わずかなすき間をこじ開けるように「大好きな人たちがいるから」と、渦中にある人々のただ中へと飛び込んでゆく、その真っすぐさに心をつかまれた著者は、能登を撮る意味を改めて感じ、以後の撮影に取り組み始める。
400年以上続く「揚げ浜式製塩法」を受け継ぐ「珠洲製塩」で、塩を届けることで元気にしていることを伝えたいと避難所から通い、作業を続ける若手の真酒谷さん(28)や、炭焼き工場で22年、23年の地震に続き、今回もすべての炭焼き窯が崩されても「やめる気はない」という大野さん(47)、そしてダメージを受けた「白米千枚田」の修復作業にあたる「愛耕会」の人たちなど、能登のさまざまな人々にレンズを向ける(3月、4月の撮影)。
ほかにも、震災で結婚式どころでなくなった知人・梨杏里さんの、ようやくできた結婚のお披露目の様子(5月)や、二十数基の巨大な「キリコ」が壊れた家屋が残る町内を練り歩いた能登町宇出津の勇壮な「あばれ祭」(7月)など、少しずつではあるが日常を取り戻しつつあった人々を、今度は大雨が襲う(9月)。
著者はそうした取材を通じて、過疎や高齢化といった能登が以前から抱える問題のあいだから「その地域の限界とは裏腹の、まだ力を出し切っていない可能性」を感じたという。
取材で出会った人々の言葉を克明につづったフィールドノートも添え、能登の人たちの地域のつながり、自然とともに生きる知恵、土地に深く根差してきたなりわいなど、ただ被災の状況を伝えるだけでなく「能登で生きることを下支えしてきた基層の部分に目を向けた」作品集。
(ulus publishing 4180円)