「喫茶店の水」qp著
「喫茶店の水」qp著
日々、口にする食べ物や飲み物をSNSにアップするのは多くの人にとってもはや日常茶飯事。それが、外出先で出合った特別なものならなおさらだ。
しかし、画家である著者の場合はちょっと趣が異なる。著者がカメラを向けるのは、注文を伝えるよりも前に何も言わずとも差し出される喫茶店の「水」だ。「もともと自分は喫茶店に行くような人間ではなかった」という著者だが、今では出される水を撮るためにわざわざ喫茶店に入るという。
そう、コーヒーでもクリームソーダでも、ナポリタンでもなく、ただ水の入ったコップを撮るために。
これまでに400店以上もの喫茶店を訪ねて撮ったそんな「水」の写真を編んだフォトエッセー集。
規格品のタンブラーに入ったものから、お店の名が入ったコップや背の低い平たいもの、樽のように真ん中が若干膨らんだものなどシンプルでありながら個性的なコップまで。店によってさまざまなコップに入れられ出される水。
縁ぎりぎりまで入ったものがあれば、なぜかコップの半分ほどまでしか入っていないもの、中の水の冷たさを連想させる表面がうっすらと曇っているコップ、それが時間が経って大きな水滴となっているコップなど。確かに、こうして並べられると、それぞれに趣がある。
川の近くで生まれ育ち、3年前に引っ越した京都でも川の近くに住む著者は、たぶん自分は水が好きなのだという。
そして、これまで画家としてさまざまな画材を用いてきたが、喫茶店の水を撮影するようになってからは、水彩画をよく描くようになったとも。
喫茶店と水との関わりをみずみずしい文章でつづる。
ある店で店主に水を撮っていることを話したところ、行くたびに違うコップで水が出てきた。当初は、気にも留めなかったのだが、5年ほど通った後、改めて前の写真を見返すとすべて異なるコップだった。店主に聞くと、話を覚えていて、毎回違うコップで水を出してくれたそうだ。
また、家の近くの「深夜喫茶」をうたう店について記した一文では思いがけない出来事が披露される。
前を通るときはいつも閉まっているその店が、ある夜、SNSで開店していることを知り、夜の9時過ぎに慌てて駆け付けてみた。
初めて入る店なのだが、壁に掛かった黒板を見て思わず声が出そうになるほど驚いたという。そこには「伝言 qpさん会えるでしょうか? ご一報ください」という見ず知らずのSさんからのメッセージが記されていたというのだ。しかし、連絡しようにも連絡先は書かれていない。
その後の意外な顛末はぜひ、本書を手にして読んでみて欲しい。
視点が変わるだけで水の入ったコップがこれほどまでにいとおしくなるとは。おいしい水を飲んだ後のようなしみじみとした余韻が残る一冊だ。
(左右社 2860円)