「せいきの大問題 新股間若衆」木下直之氏
2012年に刊行された、「股間若衆」の続編である。前著では、“男の裸は芸術か”というサブタイトル通り、男性裸体彫刻をクローズアップし、「股間」がいかに表現されてきたかという問題にこだわり抜いて研究・解説されていた。そして今回は、前著にも増してググッと股間にフォーカス。江戸の春画から21世紀の写真作品まで、より幅広く、よりディープに股間表現の歴史に迫っている。
「都市のさまざまな場所で、男性裸体彫刻が白昼堂々と股間をさらけ出しています。しかしそれらの股間については、確かにそこに存在するにもかかわらず、ことさら注目されてこなかった。私は、誰も気にしていない問題ほど気になるタイプで、こうなるともう彫刻を見ても股間しか目に入らなくなる。探して歩いているわけではないのですが、むしろ股間の方から私に迫ってくる感じですね(笑い)」
本書でも、北海道は旭川市の市役所前から、大分県は国東半島の山奥まで、全国津々浦々の男性裸体彫刻を紹介。また、西洋美術では一般的な、葉っぱで股間を隠す表現の変遷などについても考察している。
「余談ですが、以前『タモリ倶楽部』に出演して股間表現を語ったとき、テレビの限界を感じたことがあります。“股間に葉っぱ”の表現は、アダムとイブにまで遡り、旧約聖書から論じる必要がある。ところが番組側から、キリスト教にはできるだけ触れないでほしいと言われてしまった。股間と絡めて面白おかしく取り上げるなということでしょうが、テレビは後退していますね」
図版や写真の掲載を断られた例も、本書にはつづられている。イギリスの大英博物館には、幕末の日本を訪れた英国人が持ち帰った、木製の奉納男根コレクションが展示されている。そして、彼らの日記には鎌倉の鶴岡八幡宮にある女性器に似た大石に関する記述があり、それは今も存在している。しかし、大石を「芸術新潮」で紹介しようとしたところ、写真掲載を拒否されてしまったのだという。
「鶴岡八幡宮としては、子授けや夫婦円満などの文脈で紹介するのはいいが、“女陰”と捉えてもらっては困る、ということでした。同じ幕末に、スイス遣日使節団長がここを訪れた際、神官が自ら案内して誇らしげに語っていた、という記録もあるのですが……。子授けや夫婦円満などは女陰石ならではの御利益であり、それを写真で紹介することになんの不都合があるんでしょうか」
このような規制は今に始まったことではない。1901年、近代洋画の父と呼ばれた黒田清輝が白馬会展に出品した「裸体婦人像」に対し、警察が介入して腰から下を布で隠すよう命じた「腰巻き事件」は有名な話だ。
「布で隠された股間部分には、陰毛も割れ目も描かれていない。黒田が絵を学んだ当時のパリでは、このような表現が慣習となっていたためです。しかし日本では、局部が見えているという理由で問題になってしまいました」
とはいえ、この時代の警察は、初めて接する裸体表現に対し真摯に向き合っていた。自分たちがどこまで関与すべきかを真剣に考え抜いており、これは現代では失われつつある姿勢だと著者は言う。
「2014年、愛知県美術館に対し、市民から通報を受けた警察が介入。写真家の鷹野隆大さんの作品に男性の性器が写っているとして、撤去の指導が入りました。館側が応じなかったため、問題写真の腰から下を布で覆い隠す『腰巻き事件』と同様の措置が取られましたが、この件では警察が、ただマニュアル通りに動いた感が否めません」
芸術作品を、股間という切り口で楽しむのもまた一興。そして、股間表現の深淵をのぞくことで、我々の社会がどんな規制のもとに置かれているのかも見えてくる。(新潮社 1800円+税)
▽きのした・なおゆき 1954年、静岡県生まれ。東京芸術大学大学院中退、兵庫県立近代美術館学芸員、東京大学総合研究博物館助教授を経て、東京大学大学院人文社会系研究科教授。著書に「股間若衆」「銅像時代」「近くても遠い場所」などがある。