「昔の名前で出ています」はホステスからの電話がヒントに
小林旭「昔の名前で出ています」
小林旭。昭和13年11月の生まれだから、81歳になるが、元気だ。コロナ騒動前までは全国を歌謡ショーで飛び回っていた。相変わらず見た目も若々しい。恐れ入る。
日活のアクションスターとして人気者になる一方で、頭のてっぺんから突き抜けるような哀愁のこもったカン高い歌声で、数々のヒット曲を出してきた小林旭。その中でも「熱き心に」と並んで、代表曲といえるのが「昔の名前で出ています」だ。
小林旭にとってこの歌は、初めてといっていい女歌である。「マイトガイ」のニックネームを持ち、男の中の男を演じてきた小林旭が女ごころを歌うのは似つかわしくないというイメージがあったが、それを打ち破り、見事に当たった曲なのである。
その誕生エピソードが面白い。星野哲郎作詞・叶弦大作曲のこの歌は、星野が新宿・歌舞伎町の行きつけの店で飲んでいるとき、かつて新宿のクラブにいたホステスから電話があり、「いま大宮のクラブ〇〇にいるんだけれど、遊びに来てくださらない……。昔の名前で出てますから」と言われたのがきっかけだ。この営業トークからヒントを得て作詞され、クラウンレコードに届けられた。
たまたまクラウンでは、小林旭の売り方をめぐる会議が開かれていた。小林旭を歌手に起用し、「ついて来るかい」「純子」「ごめんね」などで成功させた馬渕玄三プロデューサーが、“マイトガイ”の再起策に考えたのは、男歌ばかりを歌わせてきた小林旭の女歌への路線変更であった。
馬渕の手もとには、そのとき、ある女性歌手のために用意された星野の「昔の名前で出ています」があった。これを小林旭に歌わせようと決めたのだが、実現にはかなりの議論があったという。決定稿になるまでには、歌詞の内容、ホステスの名前など4回の書き直しがあった。まず、勤めた街はどこか。歌詞にある♪あなたの似顔をボトルに書き、〇〇〇の命と書いたホステスの源氏名をどうするか。「ひろみ」に落ち着くまでに二転三転したのである。
ゴルフ場破綻の借金をチャラに
「昔の名前で出ています」は、昭和50年に発売された。だが、すぐにヒットしたわけでない。
小林旭が自ら、各地のキャンペーンに駆けずり回り、歌い続けた結果、ジワジワと火がついていった。なぜ彼が、そこまで必死になったかというと、当時、ゴルフ場の経営に失敗し、巨額の借金を抱えていたのだ。その返済のために、ドサ回りもいとわず、キャバレーやクラブを一晩に5軒も6軒もかけもちし「血へどが出るくらい歌いまくった」と告白している。
そのかいあって、2年後の昭和52年にレコードは250万枚を突破する大ヒットとなった。歌の題名もさることながら、京都で「忍」と呼ばれた女が、神戸では「渚」と名乗り、そして横浜に戻ってからは昔の「ひろみ」で店に出てあなたが来るのを待っているという歌詞は、サラリーマンの男心をくすぐり、歌詞にほれ込んだファンも多かった。
星野哲郎が知り合いのホステスからもらった電話一本が、ここまで大化けし、もちろん小林旭はゴルフ場破綻の債務から解放され、その年(昭和52年)のNHK紅白歌合戦にも初出場を果たしたのだった。