ピンク・レディー「UFO」デビュー前はフォーク路線だった
静岡県の高校の同級生だったミー(根本美鶴代)とケイ(増田啓子)が、日本テレビ系「スター誕生!」をきっかけに大ブレークし、社会現象にまでなったことは、あまりに有名だ。しかし当初、フォークソングを歌っていた素朴な2人の娘が、大胆なミニスカートでセクシーなダンスを披露する変身の裏側は、意外と知られていない。
「スター誕生!」で2人をスカウトしたのは、ビクター音楽産業のディレクター飯田久彦。「ルイジアナ・ママ」や「悲しき街角」で人気者だった元歌手が制作者側になっていたのだが、素朴なフォーク娘2人を変身させた主役が彼なのである。飯田は「とにかく、世間がビックリするようなデュオにしたい」と、作詞の阿久悠、作曲の都倉俊一、振り付けの土居甫に注文をつけたのだ。当時の3人はまだ中堅、飯田のプロデュースに従った。まずは、デュオの名前。当初、ビクターはフォークソング調の「白い風船」と名付けようとした。これに都倉が異を唱え、「ピンク・レディー」を提案したのだが、この命名が2人の運命を決めたのは間違いないだろう。阿久悠は後にこう語っている。
「『白い風船』でデビューし、それにふさわしい種類の歌を歌っていたら、根本美鶴代、増田啓子という2人の高校生の未来は、どういう開き方をしていただろうか。たかが名前といいながら、たかがでは済まない重要性を秘めていたように思われるのである」
■「ビックリするものを」の注文で大変身
とにかく「ビックリするものを」の注文を受けて名前が決まったピンク・レディーに、阿久は突然のひらめきで「ペッパー警部」というパロディー的な詞を書いた。外交官の息子でドイツで育った都倉俊一は、シンプルなメロディーに強烈なビートをきかせた曲をつけた。振り付けの土居は、この非日常的で奇抜な曲名に、ビックリさせるのはどうしたらいいかを考え、ミニスカートの2人が、股を開いたり閉じたりする大胆なアクションを演じさせたのである。
セクシーなダンスや歌い方という点では山本リンダや金井克子、夏木マリらもいたが、ピンク・レディーのそれは異質だった。「あか抜けない女の子が2人、ムッチリした太腿を露出したミニスカートで、あろうことか下品な大股開きをする」(阿久悠)振り付けは、子どもたちの好奇心に火をつけ、子どもたちのアイドルになっていった。
飯田久彦の企てた「ビックリ作戦」は、途方もない大爆発をし、「ペッパー警部」はアッという間にミリオンセラーを駆け上がり、続く「S・O・S」「カルメン’77」「渚のシンドバッド」と、現実味が希薄なSF傾向シリーズは、ことごとく大ヒット。そして、この流れの頂点は200万枚に迫るビッグヒットとなった「UFO」だった。地球の美女が宇宙人に恋をするという歌詞は、当時では奇抜で画期的だった。
この曲で日本レコード大賞にも輝いたピンク・レディーの狂乱の人気は結局、昭和51年から55年までの5年間で幕を閉じた。で、どのくらい稼いだのだろうか。
阿久悠は、レコードやテープ、キャラクター商品、出版物、CM・興行収入で「年間300億円以上に達した」と書いている。
もし、デュオ名が「白い風船」のままだったら、どうなっていたのだろうか?