ぺこぱ松陰寺の特異なキャラに包んだ残酷なまでの客観性
既にテレビで人気者になった2人にとって、昨年の「M―1」は「出ない」という選択肢もあったはずだ。
松陰寺は「10年間予選で負け続けたが故に、決勝へ上がる事がどれほどの準備と気持ちと実力が必要なのか分かっているつもり」と、自身のブログ(20年9月10日)にも記している。「2020年、そのすべてにおいてぺこぱは満を辞していません」(同前)と。
テレビの仕事で多忙を極め、新しい勝負ネタを作る時間もほとんどない。にもかかわらず、なぜ出るのか。売れている、売れていないは関係がない。「漫才ができる機会があるなら出よう。今、漫才ができる機会はとても貴重」(同前)だと考えたからだ。
「結果にこだわりたい気持ちもありますが、今回ばかりはその姿勢を自分自身に見せつけたい」(同前)という気持ちもあった。それを表すように、ぺこぱは多くの出場者が準決勝と同じネタで敗者復活戦に臨む中、別のネタを準備して挑み、そして敗れた。松陰寺はこう訴える。
「最終的には、いま自分がどういう時代に生きて、どういう世界を目指して、そして次の世代に何を残していくべきなのか。そういうことを今の世の中、考えなさすぎ。テレビでそういうこと言うと、芸人はお笑いだけやってろって、言われるじゃないですか。それも僕、違うと思ってて。意見は持ってていい」(テレビ朝日「ロンドンハーツ」20年1月12日)
相方のシュウペイも、「僕たちの漫才で、松陰寺さんの肯定の言葉って、そういうの結構入ってるんですよ」(同前)と言う。特異なキャラクターでオブラートに包んだ残酷なまでの客観性と強い思いが、ぺこぱを唯一無二の存在にしているのだ。