バブル時代のディスコは芸能人と女性の出会いの場だった
多くのメディアが社会現象として取り上げてブームを後押し。ボディコン女性は街にも飛び出し、街を闊歩する光景が見られた。ジュリアナの最寄り駅、JR田町駅前は週末ともなると、ボディコン女性であふれていた。「店に行きたいけど、行くのは恥ずかしい」という中高年は週刊誌で見て我慢していた。
お立ち台女性のなかでもカリスマだった荒木久美子は「荒木師匠」と呼ばれ、たびたびメディアにも取り上げられた。ブーム終息後、銀座にクラブを開店。店内は何種類ものジュリ扇を展示。師匠もノリで踊りを見せ、大喝采を浴びていた。ブームの後半には神楽坂にも新たな踊りを取り入れたディスコが開店した。入り口からエスカレーターで店内に入るというハイグレードな店だった。ブームの陰には常にメディアがあった。