自民党・山崎拓幹事長(当時)の女性問題は愛人スキャンダル報道の金字塔
吉川議員のケースとは月とスッポン
永田町村には昔から、女性問題には寛容な土壌がある。
歴代の自民党幹部の中には、吉川のケースとは月とスッポン、超ド級のスキャンダルを起こした人間が掃いて捨てるほどいるからである。
その中でも、週刊文春(2002年5月2・9日号、以下文春)がスクープした山崎拓幹事長(当時)の女性問題はスキャンダルの“金字塔”と言ってもいい。
山崎の愛人生活を10年間も続けていた元ホステスが、出会いから、東京・ホテルエドモントでの初めてのセックス、常軌を逸した変態行動から、2度の中絶までを、詳細なメモと10冊ほどの領収書ファイルをもとに赤裸々に語ったのだ。
それだけでも衝撃的なのに、山崎センセイは、彼女の母親とセックスさせろと要求したというのである。呆れ果てた彼女は別れる決心をする。手切れ金は500万円だった。
彼女は文春でこう言っている。
「私と同じような目に遭っている女性が他にもいると思うと怖くなったんです。それにそんな山崎先生が、もし総理大臣になったりでもしたら……。それがもっと怖かったんです」
よせばいいのに山崎幹事長は、内容は事実無根、告訴すると言い出した。
だが、当時の文春編集長は度胸と弁舌にかけては誰にも負けない木俣正剛だったから、飛んで火に入る夏の虫だった。
それならばと、当時有楽町にあった「外国特派員協会」で、その女性と一緒に記者会見を開いたのである。
私も聞きに行ったが、超満員の外国の特派員の前で、前代未聞の「幹事長の下半身」が微に入り細をうがち語られたのである。会場は大興奮だった。
それでも小泉純一郎首相(当時)は“盟友”をかばい、副総裁に据えたのだが、この姑息なやり方もむなしく、2003年9月、東京地裁は「記事は真実か真実と信じる相当の理由があった」と、文春に軍配を上げた。
山崎は、この年の11月に行われた総選挙で落選し、自民党副総裁も辞任した。残ったのは“エロ拓”という愛称だけだった。(敬称略)
(元木昌彦/「週刊現代」「フライデー」元編集長)