山本コータローさん、島田陽子さんとの思い出
齢を重ねるというのはこういうことなのか……。「花に嵐の例えもあるさ、さよならだけが人生だ」という一節がやたら身に染みる63歳の夏なのだ。上島竜兵が逝ってしまったあの日から生きるコトの意味を何度も考える日々……。
そんな中、7月4日、夏のまだ入り口だというのに連日の猛暑が日本列島を襲うそんな日に山本コウタローさん(73歳没)の訃報が届いたのだ。
コウタローさんといえば大学在学中にフォークグループ、ソルティー・シュガーで「走れコウタロー」の大ヒット曲を出し、その後、山本コウタローとウィークエンドでは「岬めぐり」という誰もが思わず口ずさんでしまう純粋なメロディーのヒット曲を飛ばし、TBSラジオの深夜放送「パックインミュージック」では肩に決して力を入れない軽妙なトークで若者の心をそっと掴んだ方だったのです(ギュッと掴むのは吉田拓郎や中島みゆきが時代のリーダーだった)。
さらには後々は白鴎大学で地球環境問題について教え教授となり、おまけに驚くべきことには同大学の硬式野球部の部長まで務めたのです。ちなみに、この野球部から俺の愛する阪神タイガースに大山悠輔を2016年ドラフト1位で送り出しているのだ!!
実は、この野球部長はたまたま人手が足りないから……とかではなくてコウタローさんは大がつくほどの野球好きというよりヤクルトスワローズの熱烈なファンだったのです。
だから、神宮球場でヤクルト対阪神を俺が観戦していてふっと気がつけば「ダンカンさあ、最近ヤクルト打線打てないんだよねェ」「阪神の藤川球児いいねェ」などなど「よお!」の言葉もなく、もう何十分も前から一緒にいたような会話をするのです(5分もするとどこかへ消え、そのうち再び現れたりとか)。そんな妙な関係が30年も続いていたのです。その間食事に行ったりや酒飲んだりは一回もなかったのに「野球親友」となるあの時間は不思議とシアワセでした……。