ロックシンガー「頭脳警察」のPANTAは「人なつっこい孤高」だった
「サタカさん、革命の話をしよう」
あれには開口したが、多分、PANTAも革命の話は嫌いではないに違いない。
こんな話にもPANTAは喜んだのではないか。1993年の秋、河合塾主催の「左右激突シンポジウム」で私は初めて塩見に会った。 その時の参加者は塩見と私の他に鈴木邦男である。
その時、塩見が『坂口弘 歌稿』(朝日新聞社)を持っていて、「何の本を」と尋ねたら、「よければ」と言って差し出したのである。そして、こう付け加えた。
「あの中にいると、みんな詩人になるんですよ」
あの中とは言うまでもなく獄の中であり、塩見とPANTAは詩人として共鳴し合ったとも言えるかもしれない。同じく天然だけれども、塩見には超がついた。
イラクから帰ってPANTAが作ったのが「七月のムスターファ」だった。 ムスターファとは、サダム・フセインの孫の14歳の少年で最後までアメリカと戦って銃殺された。