(3)養父も亡くなり天涯孤独に「どっこも行くところがなくなった」
里子に出された後も前田吟の生活は転々とする。笑顔で飄々と語る「激動の10代」はいわれなき漂流のようでもあった。
4歳で養母の久代さんが亡くなり、家族は養父の種市さんと僕の2人だけになりました。戦後間もなく、防府にあった瀬戸内の鐘紡、協和発酵といった工場もまだそんなに動い…
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