森山直太朗×内田也哉子 NHK「オチビサン」主題歌制作秘話【特別対談/後編】
「親子って“どれだけ濃密な時間を過ごしたかが大事”」(森山)
森山 これまで涙を一度も見せたことがなかった父が、ある朝涙が止まらなくなって、“79歳にして初めて自分がどれだけ突っ張って生きてきたかということに気づいた”という話を切々とするんです。何時間も涙を流し続け、心が浄化され、突っ張ってきたそのつっかえ棒がとれて“これでやっと死に別れた母親にあるがままの姿で会いに行ける”ってまた涙をこぼすんです。人間って性質は変わらないけれど無垢なありのままの姿に帰れるということを父が身をもって教えてくれました。死に寂しさはつきまとうけれど、新しい世界に旅立っていった彼に対して、「よかったね、行ってらっしゃい!」という、祝福と感謝の気持ちのほうが強かったです。つくづく死に際にいいものを見せてもらったと。もう父のせいにはできないし、自立というか親離れできたけれど、この数カ月で濃密な親子の時間を過ごして面白かったですね。人が生まれて生きて、いろんなものを手放して、解放されていくプロセスを見て、死というものはより人間が自由になっていく行為そのものなんだと感じました。
内田 そんなかけがえのない経験をされていたんですね。それもついこの間じゃないですか、私なんてその頃はまだ気が動転してましたよ。
森山 だからすがすがしい気分です。
内田 それは親として子供にしてあげられる最良の置き土産だと感じます。私も父とは疎遠だったし、親子として生まれた意味は何だったんだろうっていう葛藤があったけれど、どれだけ多くの時間を過ごせたかだけじゃなく、最期のシーンを共有することでわだかまりなのか、いろんな思いがすーっと溶けていくっていうのは確かにありましたね。お父さんもきっと親としていろいろな心残りはあると思うのね。でも、旅立ちを祝福ととらえる感受性を持つ直太朗さんに育ったのもすてきだし、そういうお父さんの素直な状態を奇跡的に共有できたことに感動します。
森山 でもそれまでの人生は目も当てられなくて(笑)。
内田 どんなことが?
森山 幼少期に父と離れていることはシンプルに寂しかったし、まったくもって不条理だと思うこともままありました。父は延命を望まず、痛みと向き合って自分が自分でなくなる処置を選ばずに最期の姿を見せてくれました。延命という手段もあるけれど親子って一緒にいた時間の長さではなく“どれだけ濃密な時間を過ごしたかが大事”なんだなって感じたし、父は最後の最後の2カ月で帳尻合わせしてきたな、って思いました。僕も父と同じ選択をするかな。といっても、本人は生きざまを見せてやろうとか思ったわけではなくて天然だと思いますけど。
内田 なかなか願っていてもできることじゃないですよね。その思いがけなく訪れた瞬間が美しい。
森山 オチビサンもある意味、天然で深いことを伝えるキャラですね。
内田 アニメーションは可愛らしくて、忘れかけてた日常の細部にちゃんと目を凝らして、耳を澄ましているところに胸を打たれます。いろんなことを乗り越えたオトナだからこそ感じ取れる醍醐味がありますよね。
──この主題歌をどんなふうに聴いてもらいたいでしょうか?
森山 この曲に関してはどんなふうに聴いてもらえるのか興味しかなくて。やっぱり、自分でゼロから作るツアーとかと違って、モヨコさんの作品にちょっとだけお邪魔する感覚で、願わくばこの作品の何か一つ風穴とか奥行きになればそれ以上のことはないです。
内田 私も同感で、これ以上言えない(笑)。
森山 オチビサン自体が“頑張れ”とか“負けるな”とかそういう作品じゃないから。
内田 すごく普遍的なものが表現されていて、どことなく「あなたがキラメキを見つけて」って囁かれてるような心地よさなんです。
森山 ただ「いいんだこの気持ちでいて」っていう安心を与えてくれる作品なので。主題歌もアニメもぜひおのおので感じ取っていただけたらと思います。 =おわり
(構成=岩渕景子/日刊ゲンダイ)