病院での積極的な治療が終了しても、医療のゴールではない
でもふたを開けてみると、奥さまは家事も全部できる。本当にそんなに先が短いのか? 医師から説明されていることや、奥さまやご家族が持つ終末期のイメージとのギャップを持ちながら、在宅医療が始まりました。
しかし、それからおよそ3カ月後に旅立たれました。旅立たれる数日前まで自分ができる家事をこなし、家族との時間を過ごされた奥さま。薬によって痛みのコントロールができていたので、歩いたり着替えたりトイレに行ったりといった日常生活を送る上で欠かせない基本的な動作は自らでき、最期まで苦しまずに生活を送られました。
その後しばらくして、旦那さまから届いたお手紙をご紹介します。
「妻の末期医療において、貴院のスタッフ、先生にはお世話になり深く感謝申し上げます。小生、正気に戻るのにひと月もかかってしまい、昨日息子から、四十九日も納骨の手配も万事終えたので、喪主としてしゃんとしてくれ、と言われ自らに檄を飛ばしてようやく覚醒した次第です。妻が余命1年と宣告された直後に小生に向かって、優しい笑みを浮かべながら『85歳まで生きたのだから、これでいいわ』と言ったことが強がりでなく、本音であったことを、先生やスタッフの皆さんと交わす会話の中で見せたほほ笑みで確証しました。その笑みに私がどれほど救われ、そして冷静さを保つことに役立ったかとても言い尽くせません。改めて御礼申し上げます」
たとえ病院での積極的な対処が終了しても、それは医療のゴールではありません。その人らしく暮らしていくための支えは最期まで必要なはず。在宅医療がそんな支えになることを目指しています。