紙加工職人の矜持「いい意味で諦めるのが肝心」…エコ老人の肩書きでも仕事を謳歌
上田秀行さん(81歳・1942年3月生まれ)
人は必ず老い、そして必ず死ぬ──。仏教では「生老病死」はすなわち、自分で思うに任せない苦悩をいう。だが、「人は老いるほど豊かになる」と言ったのは孔子だ。「四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順う。七十にして心の欲する所に従って矩を踰えず」。つまり70歳になって人はようやく自分をコントロールできるようになる。それを超えた人たちはどうしているのか。
◇ ◇ ◇
「私が70歳の時に会社は完全に息子に任せ、スッパリと引退しました。今は程よい距離感で見守ることに徹していますね。人生はいい意味で諦めるのが肝心。同じく70歳で車の運転もやめ、75歳で免許を返納しています」
中小企業が立ち並ぶ東大阪で紙加工会社「秀英」を長年にわたり経営してきた上田さん。自営から始め、息子の代で20人ほどの従業員を抱える町工場に成長している。
「20歳の時から仕事で運転を始め、50年。決して上手なわけでもないのに、今まで事故がなかったのは『運が良かった』だけでした。その運が良い間に終われることに感謝できるようになって、何かが吹っ切れたような気がしています。昨今は高齢ドライバーの事故も多いし、“何か”がある前に自分のために免許を返納する人が増えることを願いますね」
■家が貧しく、高校には進学できなかった
上田さんは17歳で故郷の広島から出てきて、大阪の紙加工工場に住み込みの見習として就職。家が貧しく、高校には進学できなかった。来る日も来る日も仕事漬けの毎日。職人としての腕を磨き続けて念願の会社を立ち上げたのは30歳のことだった。ところが……。
「独立した1972年は、ちょうどオイルショックで極端な紙不足。世間はトイレットペーパーがないと大騒ぎでした。仕事もなく、営業に行っても『そんな仕事、どこでもできるわ』と門前払いでした。でも、仕事の受注がなくてもいつものように時間通りに工場を開けて、掃除をするとかしていました。
バブル崩壊時には倒産の危機に見舞われ、心労がたたって倒れてしまった。一時は生死をさまよいましたが、三途の川を渡り切れませんでしたね(笑)。私は、初めての仕事でも絶対に断らない。試行錯誤してやり遂げ、たとえできなくてもその理由を伝える。これが信用につながったと思ってます。バブル崩壊後はどこの銀行も相手にしてくれなかったのですが、ある友人は600万円もの大金を貸してくれたのです」