私も関わった東京都知事選の古い思い出 そして小池百合子を推したくないワケ

公開日: 更新日:

 1979年の都知事選は、私も深く関わったから思い出深い。美濃部が不出馬宣言したが、自民党をはじめ各党の候補者選びは難航した。当時の「新自由クラブ」代表の河野洋平は盟友であったウシオ電機社長の牛尾治朗を立てようと画策し、時の大平正芳首相に内々に会って了解を取り付けた。だが、自民党内部から、党を割って出て行った人間の推す候補には乗れないという反対が出たのだろう、土壇場で白紙に戻ってしまった。

 その頃、私が親しくしていた議員に元民社党のホープといわれた麻生良方がいた。スマートな容姿と弁舌のうまさでは抜きんでていた。彼からある日、「都知事選に出たいが、河野に会わせてくれないか」と頼まれた。早速、河野に電話したが、「自分には意中の人がいるので」と会ってはくれなかった。だが、麻生は早々に出馬を発表したのである。

 自民党は公明党が推す鈴木俊一に相乗り。社会党は“太田ラッパ”と大衆人気の高かった元総評議長の太田薫。新聞、テレビで麻生は「泡沫候補」扱いだった。

 しかし、選挙戦が始まると麻生人気が高まっていった。そんな時、太田陣営から「出馬を辞退してくれないか」という打診があった。もちろん何らかの見返りはするという条件付きだ。麻生は悩んだ。私も相談されたが、「ここで降りたらあなたの政治生命は終わってしまう」といさめた。私は当時34歳の若造編集者だった。

■関連キーワード

最新の政治・社会記事

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    無教養キムタクまたも露呈…ラジオで「故・西田敏行さんは虹の橋を渡った」と発言し物議

  2. 2

    キムタクと9年近く交際も破局…通称“かおりん”を直撃すると

  3. 3

    吉川ひなのだけじゃない! カネ、洗脳…芸能界“毒親”伝説

  4. 4

    大谷翔平の28年ロス五輪出場が困難な「3つの理由」 選手会専務理事と直接会談も“武器”にならず

  5. 5

    竹内結子さん急死 ロケ現場で訃報を聞いたキムタクの慟哭

  1. 6

    ロッテ佐々木朗希は母親と一緒に「米国に行かせろ」の一点張り…繰り広げられる泥沼交渉劇

  2. 7

    木村拓哉"失言3連発"で「地上波から消滅」危機…スポンサーがヒヤヒヤする危なっかしい言動

  3. 8

    Rソックス3A上沢直之に巨人が食いつく…本人はメジャー挑戦続行を明言せず

  4. 9

    9000人をリストラする日産自動車を“買収”するのは三菱商事か、ホンダなのか?

  5. 10

    立花孝志氏『家から出てこいよ』演説にソックリと指摘…大阪市長時代の橋下徹氏「TM演説」の中身と顛末