メキシコ五輪代表選考大紛糾は采谷の急成長と高地対策が原因
1964年の、東京五輪のマラソン代表はすんなり決まったが、つづくメキシコ大会の代表選考は揉めに揉めた。
五輪前年、クレイトン(豪州)が「人類の壁」といわれた2時間10分(2時間9分36秒4)を切って優勝した国際マラソン(現福岡国際)で、佐々木精一郎が2時間11分17秒の…
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