アテネ五輪競泳で銅メダル 中西悠子さんは3児のお母さんに
現役時代は1回1万メートルを1週間に10セット
さて、大阪・池田市生まれの中西さんは、水泳好きの母に連れられ、0歳でベビースイミングに参加。7歳から本格的に競泳を始め、中学2年の時に初めて全国大会で優勝するや、高校1年で日本代表に選出。近畿大学進学後、19歳でシドニーオリンピックのバタフライ200メートルに出場した。
そして自己ベストを記録して7位入賞。その後、02年のアジア競技大会で優勝、03年には世界水泳選手権で銅メダルを獲得。満を持して臨んだのが04年のアテネ五輪だった。
「決勝のプレッシャーいうたら、今までの人生で一番大きかったですね。それでも調子がとても良くて銅メダル。表彰台には何度も上がってるんですが、五輪は見える景色が違いました」
だが、いまひとつ納得できなかった。
「自己ベストやないのがね。調子がいいから、『もしかしたら6秒台も!』ってコーチと話してたのに記録は2分08秒04。それで、次の北京(五輪)は記録を狙っていこう!と」
その後、05年の世界選手権でも銅メダル。もちろん国内では無敵。だがさらなる進化を求めて、泳法を変えることにした。
「基本は、なるべく力を使わないで、楽に速く。それと、いかに上下動をなくして水の抵抗を軽減するか。頭と手の入水角度、キックのタイミング……。他にもたくさん要素はあるのですが、ライバル選手たちを研究して“いいとこ取り”しました」
自他ともに認める練習の虫。1回の練習で1万メートル泳ぐのはザラ。それを1週間で10セット以上こなしたことも。
「その頃は歩くより泳いでる距離の方が長かった。健康には良くないですよ(笑い)」
そんな努力が実り、08年2月の日本短水路選手権で短水路世界記録、続く4月の日本選手権では100メートルと200メートルで日本新記録を樹立。だが、「銅より上」(中西さん)を目指した8月の北京五輪は思うようにタイムが伸びず、200メートル5位入賞で幕を閉じた。
そして10年4月に引退し、翌11年9月、水泳が好きな6歳年下の一般男性と結婚。今は年齢区分がありタイムより楽しむことや健康増進を目指すマスターズ水泳に登録し、年に数回、大会に参加している。
「出るのはもっぱら50メートル。一度、試しに200メートルの部に出たらシンド過ぎて、泳ぎながらすごい後悔しました。アハハハ」
大阪らしい明るいキャラ。これからも水泳とともに歩む。
(取材・文=高鍬真之)