電波少年で時の人 伊藤高史さん「朋友」から21年後の今
“ヒッチハイク”企画で一世を風靡したバラエティー番組「電波少年」シリーズ。猿岩石のユーラシア大陸、ドロンズの南北アメリカに続く、アフリカ・ヨーロッパ縦断を成し遂げたのが伊藤高史とチューヤンの「朋友」コンビだった。感動のゴールから21年。伊藤高史さん(42)はどうしているのか?
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「まず発声練習から始めましょう。舞台や撮影、稽古も含めて、現場に入る前に喉を温め、チューニングするのが役者の基本です」
都内目黒区の某スタジオ。伊藤さんは男女12人の俳優・女優の卵たちを前に、ワークショップの真っ最中だった。名刺には「ウルトラマンション 主宰」の肩書。「ウルトラ~」は劇作家で俳優の安藤亮司と立ち上げた劇団で、劇団員は12人いるという。
「本業は俳優と脚本家、演出家で、自分の劇団の他、外部劇団のサポートをしてるわけです。11月だと、時代劇『お江戸のおもちゃ』(アトリエファンファーレ東池袋)の脚本、舞台『MIANEYO』(シアターブラッツ)は脚本と演出も手掛けています」
これだけではない。
「実は人気ボーカル・ダンスユニット『GENERATIONS from EXILE TRIBE(ジェネレーションズ・フロム・エグザイル・トライブ)』が行っている5大ドームツアー『少年クロニクル』の映像ナレーション脚本を担当してるんです。オープニングや曲と曲の間にモニターやスクリーンに流れるイメージ映像があるじゃないですか。あれの脚本ですね」
所属するLDHのHPを見ると、ツアーは12月15日の福岡ヤフオク!ドームまで残り11公演を予定している。
「きっかけはパフォーマンスユニット『AAA』のボーカルNissy(西島隆弘)が今年春に行ったドームツアーの曲だし映像・企画構成案に携わったこと。この時のつながりでオファーが来たんです。舞台で培ったアイデアも生かせるので、楽しくやらせてもらっています」
伊藤さんは1976年11月21日、大魔神・佐々木主浩、鉄人・金本知憲、矢野燿大・阪神監督ら数多くの名プレーヤーを育てた東北福祉大・元野球部監督の故・伊藤義博氏の3人兄弟の末っ子として生まれた。
そして、96年に俳優を目指して仙台市から上京。芸能事務所に所属している時に受けたのが、日本テレビ系「電波少年」のオーディションだった。
「書類審査から企画スタートのために成田空港に連れていかれるまで約1年。よもや、あの人気コーナーに選ばれるとは思ってもいませんでした。パートナーが香港在住の中国人・チューヤンだとスタート地点で知った時は正直、不安しかなかったですね。彼は広東語と英語、僕は日本語しか話せなかったから」