若いのがタダ飯を食い始めると野球を舐めてかかるように
右打者の内側をえぐるシュート球を名人芸でヒットにする山内一弘がエース・小山正明との交換トレードで阪神に入団。すると、それまで貧打といわれたタイガースは1962年の優勝から1年置いただけで再び優勝した。
「そら、うれしかったさ。勝っていなきゃあ、ファンから“小山を返せ、山内出てけ!”ってボロクソに罵声を浴びたろうからね」
■帰りに分厚い小遣い
――タニマチはまた増えた?
「増えた。毎晩よ、飲め、食べろ。帰りに封筒よ。そうさ、分厚い小遣いをもらってさ」
お相撲さんと同じ、ごっつぁんの世界を山内も知った。ごっつぁんのどこが悪いのか。
山内は言う。
「断り切れないことはある。でもさ、若いのがタダ飯を食い始めると、悪い癖のようなもんで、本職の野球を舐めてかかるようになるんだな。わしはその辺はわきまえていたがね」
山内一弘は4年間の在籍で阪神から去る。その時、35歳。当時なら現役よさらばが普通の年齢だったにしても、阪神の4番としては短命である。