田淵が西武に移籍した途端、自宅に請求書が送られてきた
時の球団社長(阪神電鉄本社専務)の小津正次郎におべっかを使っていたから、まさに我が物顔、顔パスで球場に入ってきた。まるで田淵のタニマチ気取り。選手のロッカールームにさえズカズカと入っていった。実際、田淵の歯をよくチェックした。ついでに他選手の歯をみることもあった。
■「治療費はいらない」と言っていたが…
田淵はその都度、治療費を払おうとしたが、「おカネ? いらない、いらない。いいんだって」と、受け取ろうとはしなかった。歯科医の顔には「私はあなたのタニマチだから」と書いてあった。
時は流れて、1978年、田淵が西武へ放出された。すると先の歯科医から田淵宅に請求書が送られてきた。それまでの歯の治療費〇〇万円を頂戴したい。
「だからその都度、カネを払おうとしたんじゃないか。それがトレードされたら、はい、請求書だって? バカにするなよだよ」
――で、その請求書は破ったの?
「そんなもん、すぐ送金したさ。すぐ、すぐに」
あれは岡田彰布が阪神監督だった2006年だったか、2007年だったか。
「おまえっ、有頂天になるなっ!」と若い選手を叱ったことがある。
(つづく)
=敬称略