原辰徳と川上哲治 巨人軍「2人の名将」似て非なる部分

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 11日に監督通算1067勝目を挙げた巨人原辰徳監督(62)。V9の名将、川上哲治監督を抜いて球団の歴代最多記録を更新し、「神様超え」「希代の名将」とスポーツマスコミを大いに騒がせた。が、巨人OBの中には「数字上はそうでも、監督としての力量まで川上さんを超えたかのような報道にはやはり違和感がある」という声もある。巨人元投手コーチの中村稔氏(81)はどう見るか。中村氏は川上巨人の不滅の金字塔が始まった1965年に20勝4敗、70年からはコーチとしてV9を支えた。

■「負け数」と「日本一達成回数」

 ――原監督が通算勝利数で川上監督を上回りました。

「原監督とは彼の現役時代からの付き合いで、『辰徳!』『先輩!』と呼び合う関係。監督として素晴らしい実績を残して『もう、気安く辰徳などとは呼べないな』と言うと、『そんなことを言わないでください。先輩はずっと先輩です』とこちらを気遣ってくれる。そんな原監督が球団史に名を刻んだ。拍手を送りたい。とはいえ、原監督もこれをもって『川上さんを超えた』とは思ってないでしょう」

 ――と言いますと。

「川上さんは14年間の監督生活で1066勝を挙げたわけですが、注目したいのは739敗という負け数です。原監督は今季が同じ監督14年目で、球団記録を達成した11日の時点で1067勝798敗。川上さんより59敗も多い。2人の勝率は引き分けを含めて川上さんの・591に対し、原監督は・572。もうひとつ歴然とした差があるのは日本一の回数です。川上さんは11度のリーグ優勝で日本一も11度。原監督は8度のリーグ優勝を果たしながら、日本一は3度にとどまっている。昨年の日本シリーズでもソフトバンクに0勝4敗と1勝もできずに、惨敗を喫した。原監督には今年こそ日本一奪回を果たしてもらいたいし、川上さんの日本一11度に少しでも近づけるように挑戦してもらいたい」

「川上監督は決して独善の人ではなかった」

 ――川上さんはどういう監督でしたか。

「勝負に厳しい監督でした。『管理野球』『哲のカーテン』に象徴されるように、古いファンの方もそういうイメージがあると思う。威厳と迫力があった。その一方でグラウンドを離れれば、非常に気さくな方でした。私は選手時代からよく麻雀卓を囲んだし、釣りにも一緒に出掛けた。私がファームのコーチだったとき、多摩川の二軍グラウンドにフラッと顔を出すことがありました。報道陣から『川上さん、熱心ですね』と感心され、『ウム』などと厳しい表情でうなずいていたりしましたが、実は練習後に私らと麻雀をやるために顔を出しただけ。あとで大笑いしてましたが、実はそういう人間味のある方でもあった。生意気な私が練習メニューや起用のことで意見を言っても、それが正しいと思えば聞き入れてくれた。決して独善の人ではなかった」

 ――生え抜き選手を育ててV9を達成。外国人選手は取らず、純血チームでの偉業でしたが、他球団からの補強も実は少なくなかった。

「唯一、5番打者が固定できない時期がありましたからね。柳田利夫さんや高倉照幸さん、森永勝也さんらをトレードで取った。アマチュアの有力即戦力選手も同様です。チームの弱点を補うというのはもちろん、これには、レギュラーや生え抜きの中堅・若手を刺激するという意味もあった。競争力を高めて、チームのレベルを維持する。原監督も特に昨年と今年は若手を積極的に抜擢し、レギュラーも安閑とさせない。常々、『実力至上主義』と口にしている。川上さんと同じ手法でチームに緊張感を持たせていますよね。川上さんは新聞で巨人に厳しいコラムを書いていた中日OBの牧野茂さんの鋭い野球観を見抜いてコーチに引き入れたが、原監督もタレント活動をしていた元木大介を入閣させて今年はヘッドコーチを任せている。目利きという点でも共通点がある」

「生え抜き育成が本来の野球の姿」

 ――ただ、原巨人の場合はチームの根幹を担うエースや4番などの主力を補強に頼っている印象がある。原監督は昨年までの監督13年間で14人のFA選手を獲得。原政権での4番打者を見ると、その座に就いた22選手のうち、李承燁や小笠原、ラミレスら12人が外様の補強選手です。

「その点はやはり、川上さんとは違うかな。川上さんに言われた言葉で印象的なものがあります。私はV9初年度となった65年に20勝を挙げたものの、その後は故障と堀内恒夫ら若手の台頭もあって成績を落とした。69年のシーズン中に川上監督から呼ばれ、来年から二軍の投手コーチをやれと命じられたのですが、その際、こう言われたのです。『今度はおまえが選手を育てるんだ。手塩にかけて育てたそいつらを連れて一軍に戻って優勝する。これが本来あるべき野球の姿だぞ。忘れるなよ』と。川上さんから二軍コーチを任され、西本聖や定岡正二、角盈男らと一緒に汗を流し、藤田元司監督の下で一軍投手コーチとして復帰した81年に彼らが主力になって優勝したのは、だから格別でしたね。評論家になられていた川上さんも、『稔、おめでとう!』と本当に喜んでくれた。斎藤雅樹、槙原寛己、桑田真澄が投手陣の大黒柱になって優勝した89年、90年もそうです」

■山本浩二や衣笠が正座して練習を見学

 ――川上監督も補強はしたけど、チームの中心は生え抜きにこだわった。

「今とは時代が違うし、川上さんには王、長嶋のONという絶対的な存在がいた。チームの中心を補強する必要がなかったとはいえ、『それが野球本来の姿だぞ』というのは、生え抜き選手を自前で育て続けることが永続的な強さにつながるし、それが伝統になるということです」

 ――ただ勝てばいいということではない。

「川上さんが率いた当時の巨人は、すべての面で他球団の先を行っていました。米大リーグ・ドジャースの戦術を輸入したドジャース戦法もそうだし、ただ強いだけでなく練習、環境、選手の立ち居振る舞い……すべてにおいて他球団の手本となり、文字通りの盟主だったと思う。宮崎での春季キャンプには、同じ宮崎県でキャンプを行う広島から若かりし頃の山本浩二、衣笠祥雄らが巨人の夜間練習を見学に来たこともある。当時の首脳陣から巨人の選手がどういう練習をやっているのか見てこいと言われ、室内練習場で正座してジッと我々の練習を見ていた。原監督には通算勝利数を伸ばすとともにそういうチームをつくって欲しいと思います」

(聞き手・森本啓士/日刊ゲンダイ)

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