恐怖の法大寮生活…スポーツ推薦入学も先輩に目を付けられ
「鳴門から4人だって?どうやって入ったんだ?」と上級生に攻撃される理由になり、当時は恨んだものだ。
最初はひたすら雑用だった。洗濯、グラウンド整備、買い物、先輩たちの道具磨き、各部屋や風呂の掃除、食事の準備も1年生の仕事だった。ロクに寝る時間もなく、何かあればすぐに殴られる時代。寮外生の部員に粗相があっても私たちがシバかれた。理不尽なことで辞めていく部員もいる中、法政大学のユニホームを着て神宮球場で活躍し、プロ入りするという目標が退部を思いとどまらせた。
部員は120人以上。ただ、Aクラスしか練習をさせてもらえないため、グラウンドに出てこない幽霊部員が大勢いた。
私は入学早々Aクラスで練習をさせてもらったが、そんな喜びより、寮外生がうらやましかった。たとえ練習ができなくても、3年生になったら一軍メンバーに入って寮に入れればいいと本気で思ったほどだ。
現在の法大は2つの合宿所に分かれ、食事はプロの業者がバランスを考えて作ってくれるため、1年生が作ることはない。
今、私は首都大学リーグ2部に所属する城西大のコーチを務めている。暴力は厳禁の時代。こちらも部員145人の大所帯だが、寮生活を「楽しい」と言う学生もいる。時代は変わったものだ。
大学時代の思い出は、4年時に参加したロサンゼルス五輪である。