走塁でボーンヘッドを犯し…心救われた落合博満さんの一言
プロ1年目の一軍での試合出場はわずか6試合にとどまった。シーズン終盤に一軍に昇格したが、すべてが代走、守備固めとしての途中出場。一度も打席に立つことができなかった。ファーム生活を含め、プロの厳しさを実感する日々だった。
今も、忘れられない。1983年9月21日。私はプロとして絶対にやってはいけないボーンヘッドを犯してしまった。その日、ロッテは川崎球場で南海とダブルヘッダーを戦った。その2戦目。4―6で迎えた九回裏の2死一塁の場面で私は、3番・落合博満さんの代走として出場した。
4番のレロン・リーさんの打ったゴロがファースト方向へ。一塁手の池之上格さんがベースを踏んで試合終了だと思った私は漫然と二塁ベースを回った。そして、一塁方向にふと目をやった瞬間、頭が真っ白になった。
一塁手の池之上さんが二塁へ送球。ベースから5メートルほどオーバーランしていた私は二、三塁間で挟まれ、タッチアウトとなってしまった。その瞬間は一体何が起きたのか、わからなかった。一塁手が打球をはじき、打者のリーさんが一塁セーフになったことを知ったのは、アウトになった後だった。