1982年来日 韓国初のプロを率いた老監督との邂逅<上>
ロンドンでは、関塚ジャパンが4位に食い込んだ。地元開催となる今五輪は、当然ながらメダル獲得が期待される。
日本が初めて出場した五輪は、1936年のベルリン大会である。出場国は、現在と変わらない16チームだったが、今のようにグループリーグを突破した8チームによってトーナメントを戦うのではなく、1試合目からトーナメントで争われた。
優勝候補には開催国のドイツ、1934年の第2回W杯で優勝したイタリア、そしてスウェーデンも挙げられていた。
いきなりスウェーデンと戦うことになった日本は、0-2で折り返した後半に3連続ゴールを叩き込み、見事にジャイアントキリングを演じた。
この一戦は「ベルリンの奇跡」として語り継がれており、1964年東京五輪グループリーグのアルゼンチン戦の勝利(3-2)、1968年メキシコ五輪・3位決定戦のメキシコ戦の勝利(2-0)とともに日本サッカーの金字塔でもある。
それにしても「ヒトラーのプロパガンダに利用された」とも言われるベルリン五輪は、既に85年も前に開催された大会だ。